ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Elimination

WHO Ambassador's Column

コラム

WHOハンセン病制圧大使:笹川陽平活動記

Vol.01 2014.10.31

ハンセン病制圧活動ウェブサイトの スタートに寄せて

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私がハンセン病の制圧活動にかかわるようになってから、40年以上になります。そして今回、このようなかたちで、より多くの皆さんに、ハンセン病を正しく知っていただくためのウェブサイトを開設しました。
最初に、なぜ私がハンセン病との闘いに携わるようになったのかを、お伝えしたいと思います。

ハンセン病を制圧するという大きな目標を掲げたのは、実は私の父です。最近の若い方は、ご存知ないかもしれませんが、現在、私が会長を務めている日本財団の創設者でもある、笹川良一(1899〜1995年)という人物です。

父の若い頃に、こんなことがあったそうです。村の美しい女性がハンセン病にかかり、その結果、結婚も、外出することすらできず、ついには村から姿を消しました。その後の彼女の行方は、誰にもわかりません。そのことを知った父は、強い憤りを感じ、「いつかこの世から、ハンセン病をなくしてやろう」と決心したそうです。これは私の想像ですが、その女性というのは、父の初恋の相手だったのかもしれません。

そんな父が、日本財団の創設(1962年)当初から、ハンセン病との闘いに乗り出したのは、ある意味、当然のことだったといえるでしょう。それは文字どおり、父のライフワークになりました。その父と長年、一緒に仕事をしてきた私にとっても、いつしかハンセン病との闘いは、一生をかけて追い求める、大きな目標になりました。

ウェブサイトを見て、すでにおわかりいただけたと思いますが、ハンセン病は非常に古くから、人類を苦しめてきた病気です。ハンセン病と思われる病気については、古来、さまざまな文書に記されてきました。紀元前6世紀のインドの古書、旧約・新約聖書、中国の古文書などにも、そうした記述を見ることができます。
それらの多くの書物のなかで、ハンセン病は「神からの罰」、あるいは「前世の悪い行いからきた報い」であるなどと説明されてきました。こうしてハンセン病は、長い間、人々から恐れられるともに、厳しい差別の対象となってきたのです。

1981年にMDT(多剤併用療法)という治療法が開発されたことで、ハンセン病はついに「治る病気」になりました。しかし、病気が治っても、人々の心のなかにある偏見、差別意識は、今もなかなか消えることはありません。

ハンセン病患者や回復者に押しつけられた偏見や差別のことを、欧米では「スティグマ」と呼んでいます。キリストが処刑される際に受けた傷、聖痕がその語源ですが、もともとは犯罪者や奴隷につけられた烙印、刻印などを指す言葉です。そして、このスティグマは、ハンセン病の元患者だけでなく、その家族たちも背負わされてきたのです。

そのような差別、スティグマを一日でも早くこの世からなくすべく、私は2006年から「グローバル・アピール」というイベントを開催しています。これまで世界の宗教指導者、政治家、経済界などのリーダ−、医師会、法律家、人権活動団体などに賛同の署名やメッセージをいただいてきました。これまで「世界ハンセンの日」である1月の最終日曜日に、世界各地で開催してきましたが、来年、2015年の1月27日には、第10回目となるグローバルアピールを初めて東京で開催します。イベントに関する情報は、このウェブサイトでも随時お知らせしていきます。ぜひご覧ください。