ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Eliimination

Leprosy Sanatoriums & Resource center in Japan / 日本のハンセン病療養所・資料館

Oshima Seishoen

大島青松園

香川県

瀬戸内海に浮かぶ
面積61haの島にたたずむ

1909年(明治42年)、中・四国8県(岡山、広島、島根、山口、徳島、香川、愛媛、高知)連合、第4区療養所として開設。当初の名称は「大島療養所」といい、管轄は香川県知事、病床数は200床であった。大島は高松港からおよそ8㎞、庵治港からおよそ5㎞に位置しており、西には鬼ヶ島(桃太郎伝説)のモデルになったと言われる女木島、南には源平合戦の舞台となった壇ノ浦、そして東には『二十四の瞳』の舞台となった小豆島を臨むことができる。

1941年(昭和16年)に管轄が厚生省に移管されると同時に「国立らい療養所大島青松園」と改称、太平洋戦争後の1946年(昭和21年)にはさらに「国立療養所大島青松園」へと名称をあらためて現在に至っている。

大島は2010年から始まった「瀬戸内芸術祭」の開催地でもあり、島内には大島青松園の施設を利用したアート展示なども設けられている。青松園の旧跡をめぐりながらハンセン病に関する歴史を学ぶガイドツアーなどもあり、芸術祭会期中には日本国内だけでなく、海外からも多くの見学者が訪れている。

国立療養所 大島青松園のあゆみ

  • 1909年(明治42年)

    中・四国8県(岡山、広島、島根、山口、徳島、香川、愛媛、高知)連合、第4区療養所として開設

  • 1941年(昭和16年)

    管轄を厚生省に移管、名称を「国立らい療養所大島青松園」に改称する

  • 1946年(昭和21年)

    「国立療養所大島青松園」へ名称変更

国立療養所 大島青松園

http://www.nhds.go.jp/~osima/

〒761-0198
香川県高松市庵治町6034-1
Tel. 087-871-3131 / Fax. 087-871-4821

アクセス:

JR予讃線高松駅下車 高松港・県営第一浮桟橋より官有船にて約20〜25分

View Points

View Points of Oshima Seishoen

  • 墓標の松

    大島は源平合戦の舞台となった島で、屋島の合戦に敗れた平氏が長門に落ち延びる際、ここで武将の亡骸を愛用の刀や弓矢とともに埋葬しました。このとき墓標として植樹した松が、現在の大島青松園の玄関口にある松であると伝えられています。

  • 納骨堂

    日本のハンセン病療養所にはすべて「納骨堂」があります。病者が療養のために入る施設のなかに納骨堂がつくられているということは、「らい予防法」にもとづく日本のハンセン病政策の問題や、長く続いた偏見・差別の時代を物語っています。大島青松園では1909(明治42)年の開園以来、2000人を超える入所者が園内で亡くなり、その多くが遺族に引き取られることもなく、園内の納骨堂に葬られています。

  • 風の舞

    園内で亡くなった方々の遺骨は「納骨堂」に納めますが、残りの残骨を納めているのが「風の舞」のモニュメントです。「大島で生涯を終えざるをえなかった人びとの魂が、せめて死後には風に乗って島を離れて、自由に解き放たれますように」との願いが込められています。1992(平成4)年、入所者自治会、職員をはじめ多くのボランティアの方々によって石が積まれ、完成しました。設計は、庵治町在住の彫刻家・橋本清孝氏によるものです。

  • 石仏・ミニ八十八カ所

    青松園のなかには、四国八十八カ所霊場を模した、88の石仏が置かれています。大正時代の終わりごろに住職の方々の尽力によって四国の各寺院から寄贈されたもので、大島にいながらにして四国八十八カ所巡りができるようにとの配慮からつくられました。かつて四国八十八カ所の遍路には、病気によって故郷を追われて行き場を失った人々、とくにハンセン病患者やその家族が多くいました。ハンセン病の歴史と四国八十八カ所巡礼の歴史には密接な関係もあるのです。

  • 解剖台

    この解剖台は1950年代まで青松園で使われていたものです。療養所の古い施設を解体したときに業者によって海に棄てられたのですが、2010(平成22)年に浜で発見されました。そこから重機で運ぶ際に二つに割れてしまいましたが、2010年に開催された第一回瀬戸内国際芸術祭のなかで、大島の歴史を語るものとして展示されました。かつて全国各地のハンセン病療養所では、亡くなった方々の解剖が行われていました。

写真で見る「国立療養所 大島青松園」