ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Eliimination

The Documentary / ハンセン病の現場にレンズを向けて

vol.15

 

ハンセン病に出逢ったことは

2014年3月。22歳だった華恵はリポーターとしてハンセン病の現場に足を踏み入れました。「ハンセン病について、ほとんど何も知らない」。それは、今この画面の前にいる多くの人と同じかもしれません。そんな状況で始めた取材は、驚き、戸惑い、悩むことの連続でした。しかし彼女は2年半に渡って足繁く現場に通い、ハンセン病の患者・回復者と真摯に向き合いました。
ハンセン病の現場で出逢った人々。その懸命に生きる姿にレンズを向けました。

本編 32分24秒

世界と日本のハンセン病概況説明世界でも、日本でも、厳しい状況に置かれる患者・回復者。

華恵がハンセン病の取材のために訪れたのは、12の国々。宿泊地からの移動は2~3時間が当たり前という隔離施設や蔓延地を数多く訪れ、沢山の人に出逢いました。インドでは、物乞いしか生きる術がないと絶望する男性に。ネパールでは、もう二度と故郷には帰れないと涙する若い女性に。ポルトガルでは、生後間もない子と親が引き離されたと憤る老人に・・・ハンセン病が完治する病気になった今なお、国や地域を越えて、多くの患者や回復者が“苦しみ”の最中にいました。
そしてこの“苦しみ”は、日本にもあるものです。1900年代初頭から国によって推し進められた患者の隔離政策は、「らい予防法」が廃止される1996年まで継続されました。また廃止後も多くの人は故郷に帰ることができず、今なお療養所に住み続けています。こうした歴史を伝えるのが、ハンセン病療養所多磨全生園(東京都清瀬市)の敷地内にある国立ハンセン病資料館です。今回、華恵は笹川陽平さんに促され、この資料館を訪れました。そこに展示されていたのは、療養所に住む人々が日々の暮らしで手にし、使用したもの。入所時にお仕着せられた縦縞の着物は、長い年月によって色褪せていました。継ぎがあてられるほど使い込まれた包帯は、治療を受ける患者自身の手によって洗濯されたものです。療養所の中だけで流通した「園内通貨」もありました。患者が逃げないよう、一般通貨は取り上げられたのです。それらは社会から隔離され、厳しい差別の中で生き抜いた人たちの「生きた証」そのものでした。
世界で、そして日本でハンセン病に出逢った華恵。彼女は何を感じ、何を考えたのか。2年半に渡る取材を終えた現在の心境を、笹川陽平さんにぶつけます。

keypersons

  • 「この旅を通して、自分の弱さを知った。そして認めることができた。だからこそ思うんです。少しでも前に進みたいと」

    華恵(リポーター)

    ハンセン病の取材を終えた華恵が、思わず口にした言葉。「辛かったです」。それは彼女が患者・回復者の人たちと真正面から向き合ってきたからこそ出た言葉でした。
    取材を始めた頃、華恵はハンセン病のリポーターでありながら、彼らに近づくことさえできませんでした。見た目に残る、重い障害を抱えた彼らの姿を目の当たりにして、衝撃を受ける。そして想像を絶する差別の体験を話す、彼らの思いの強さに圧倒される。取材者としてしなければならない質問のできない自分をごまかし、「自分なりのコミュニケーションを探っていきたい」と言い訳ばかりを繰り返していました。
    そんな華恵の背中を押してくれたのは、他でもない患者・回復者のみなさんでした。
    インドで物乞いとして暮らすサランさん。彼の住むコロニーに華恵は3日間通い、同じ時を過ごすことで「この人のことをもっと知りたい」と自然に思うようになりました。ポルトガルの療養所に住むアルメイダさんとは話が弾み、インタビューの最後に名前を訊ねられました。ルーマニアのミワラさんとヴァシリカさん姉妹からは「社会から忘れ去られた私たちのことを思い出してね」と手編みのベストをプレゼントされました。そして取材時にハンセン病の診断を下され、涙を流して落ち込んでいたブラジルのジュラセマさん。それでも別れ際には「次に会う時までに絶対治しているからね!」と気丈に振る舞い、華恵を抱きしめました。
    彼らとの出会いを振り返り、華恵は「この旅を始めた頃、何も行動できなかった自分に後悔をしています。でも、そのことを絶対に忘れないようにしたいんです。今回の取材で差別や無関心によって本当に苦しむ人を知ったから・・・これまで周りで差別的な発言などがあっても、自分はただ傍観するだけ。忘れるようにしていました。でも『それは違うんじゃないの?』って言えるようになりたい。たとえ半径10m以内であっても、自分の周りに悲しむ人がいないようにしたい。そのために、少しでも行動したいと強く思えるようになりました」と語ります。
    自分は変わった、人生の中でそう思える機会は多くはありません。ハンセン病の現場で出逢うもの。それは「ハンセン病」という問題を超えるものです。人間の尊厳を完全に否定された人々を見つめることは、「人間はどう生きるのか」という現実を見ることに他ありません。だから私たちは「自分がどう生きるか」について考えるのです。

Staff Credits

総合演出:浅野直広 / ディレクター:奥田円 / プロデューサー:浅野直広、富田朋子 / GP:田中直人
海外プロデューサー:津田環 / AD:渡辺裕太 / 撮影:西徹、君野史幸 / VE:岩佐治彦、中沢博幸 / 音効:細見浩三
EED:米山滋 / MA:清水伸行 / 翻訳:平野加奈江、貫名由花 / リポーター・日本語版ナレーター:華恵
制作:テレビマンユニオン