ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Eliimination

ハンセン病に向き合う人々

梶田恵理子(NPO法人わぴねす代表理事)、安田亜希(同副代表理事)

インドでハンセン病コロニー支援をおこなうNPO団体、わぴねす。
代表理事/副代表理事をつとめる梶田さんと安田さんは学生時代に出会い、
ワークキャンプ活動に参加していくなかで、
いつしかインドと深く関わるようになっていったという。
明るく、元気に。先入観にとらわれず、自然体であることを忘れない。
わぴねすが思い描く未来は、ヒューマンタッチで総天然色です。

Profile

梶田恵理子氏

2008年に早稲田大学社会科学部入学後、ハンセン病問題支援学生NGO橋─Qiao─に参加。2009年には第5期代表に就任する。2011年に任意団体NPOインドワークキャンプ団体namaste!(ナマステ)を設立、代表に就任。活動開始から5年目を迎えた2016年に今まで手がけてきたワークキャンプ/就労支援/教育支援の3事業を統合したNPO法人わぴねすをあらたに設立、代表理事に就任した。

安田亜希氏

女子美術大学中退後、2008年に早稲田大学人間科学部健康福祉科学科に入学。西尾雄志氏の講義をきっかけとしてハンセン病問題支援学生NGO橋─Qiao─に参加する。2011年にnamaste! の副代表に就任。2013年にはコロニーでの就労支援を目的とした任意団体インド雑貨やさんoaks(オークス)を設立、代表に就任。2016年あらたに設立されたNPO法人わぴねすでは、副代表理事を務める。

すべての始まりは早大の学生NGO「橋─Qiao─」から

おふたりは早稲田大学ボランティアセンターが主催しているハンセン病問題支援学生NGO
「橋─Qiao─(※チャオ。中国でワークキャンプ活動を行っている)」の活動を通じて知
り合ったそうですね。ハンセン病のことについては以前から知っていたのですか。

安田 私は小さい頃から松本清張マニアで、『砂の器』は小学校6年生のときに読んでいました。映画(※1974年、野村芳太郎監督作品『砂の器』のこと)も観たんですが、小説も映画もハンセン病がどういった病気であるかについては、あまり深く触れられていません。そこで図書館で本を借りて自分でいろいろ調べたりしました。

中学生のときには映画『もののけ姫』が公開されましたが、あの映画のなかにもタタラ場で働く包帯の人たちが出てきますね。「あれはきっとハンセン病の人たちなんだ」とひとりで思いながら観ていました。でも学術的なことなどについては、ほとんど何も知りませんでした。

梶田 私も大学でチャオという団体に出会うまでハンセン病という病気の存在については、まったく知りませんでした。ただ、高校時代にオーストラリアへ留学したとき現地でボランティア活動を経験していて、日本に帰ってきてからもボランティア活動には関わっていました。

オーストラリアでは、どんなボランティア活動をしたんですか。

梶田 ボランティア活動っていうと普通、困った人を助けたり、何かをしてあげることだと思いますよね。ところが、そのとき私たちがやったのはストリートでの断食パフォーマンスでした。3日間断食します! その心意気を買って募金してください! みたいな感じです。そうしたら3日間で2万円くらい集まった(笑)。そのお金をアフリカで暮らす子供たちのワクチン代として寄付しました。そのとき、たったひとりでも3日で2万円集められるんだから、たくさんの人がいたらもっと大きなことができるんだろうな、と思いました。

チャオに入ることを決めたのは、いろいろなサークルを見たなかで一番変わっていて面白そうだったから。ぶっ飛んでるというか、ものすごく個性的な人が多かった。まだ自分が行ったことのない中国でのワークキャンプ活動という点も魅力的でした。

安田さんがチャオに入ったきっかけは何だったのでしょう。

安田 西尾雄志(⇒西尾氏へのインタビューはこちら)先生の授業がきっかけです。シラバスを見ていたら前期だけで4単位も取れる授業があって、なにこれ、と思って内容を読むと15回全部ハンセン病についてゼミ形式で講義しますと書いてある。この先生は絶対に面白いに違いないと思って授業を取ってみたら、20人いる学生のうち1/3くらいがチャオのメンバーでした。当時、西尾先生の講義は5限と決まっていて、授業が終わると西尾先生以下、みんなで飲みにいく(笑)。そこでメンバーと仲良くなってチャオに入らない? と誘われました。

おふたりとも初めて参加したのは2008年のワークキャンプだったそうですね。中国で
は、どのようなことを感じましたか。

梶田 最初は正直びっくりしました。中国語もわからないですし、快復者(※チャオのワークキャンプ活動では病気が治った人、という意味で快復者と表記する)の方々とも、どう関わっていいかわからない。何をするにしても一緒に活動している中国の学生ボランティアの人たちに訳してもらいながら、本当に恐る恐るという感じでした。

その後ワークキャンプに2回、3回と参加し、現地の学生ボランティアの子たちからワークキャンプに対する思いを聞いたり、思い切って快復者の方々と関わってみたりするうちに、だんだん意識が変わっていきました。あんな感じでワークキャンプに関われたらいいな、大好きな快復者のおじいちゃん、おばあちゃんたちの笑顔のためにがむしゃらに活動してみたい、と思えるようになっていきました。普通のボランティア活動にはない奥深さも感じましたね。

安田 初めてワークキャンプに参加する前は正直、不安や葛藤がありました。怖くないと頭で理解しているつもりでも反射的に恐怖を感じてしまうのではないか、自分自身に他人を差別する気持ちがあるということがわかるだけなのではないか、という不安が自分のなかにあって、何ヶ月も自問自答をくり返していました。でも実際に行ってみたら不安は一瞬で吹っ飛んでしまいました。そのとき行った快復村のおじいちゃんが、とにかくかわいすぎて(笑)。

そのおじいちゃんは大きな鯉を包丁で楽々さばいてしまうし、カゴを編むのも得意だし、なんでもできてしまうんです。身体が不自由なのにすごくパワフルで、とにかく尊敬のひと言。そんな風に感じてワークキャンプから帰ってくる学生は、けっこう多いのではないかと思います。

インドでのワークキャンプは、それまで中国で活動してきた梶田さん、安田さんにとって新しい挑戦だった

入新規患者数がもっとも多い国、インドへの挑戦

その後、チャオでの活動を経て学生インドワークキャンプ団体namaste!(ナマステ)を
立ち上げるわけですが、なぜインドで活動してみようと思ったんですか。

  • 代表理事の梶田さんは、一人旅で訪れたインドで現地に暮らす人の素朴さ、面白さを知ったという

安田 中国でのワークキャンプ活動はチャオや、原田遼太郎さん(⇒原田氏へのインタビューはこちら)たちが主宰されているJIA─家─(※中国のNPO)もあって、かなりしっかりとコーディネートされてました。中国での活動はかなり充実してきた、じゃあ次は? となったときに浮かんできたのがインドでした。インドは新規患者数が世界一多い国ですし、当時はまだ日本の学生ワークキャンプ団体は存在していませんでした。

もうひとつの理由は、より厳しい環境で自分たちを崖っぷちに立たせてみたい、カオスに身を投じてみたいという冒険心だったような気がします。自分たちはどこまで行けるんだろう、限界までチャレンジしたら何かが変わるんじゃないか、という好奇心があったことも事実です。

インドに行ったことはあったんですか。

  • カオスなインドに心折れそうになっていたとき励ましてくれた、おじいさん。安田さんは親しみを込めて「ポルトゥじいちゃん」と呼んでいる

  • ビシュナプールのハンセン病コロニーに住む人びと

梶田 私はバックパッカーで一人旅をしたことがありました。大学生活の残り2年間をどう過ごすべきか、ゆっくり考えてみたかったんですね。ちょうどその頃、『ダージリン急行(※ウェス・アンダーソン監督作品。日本公開は2008年)』という映画を観たばかりで、あの映画に出てきた景色を見てみたいというだけで行き先をインドに決めました。

安田 梶田は2009年10月に代表選で選ばれて、チャオの第5期代表に就任するんですが、その選挙前にいきなり「私、ちょっとインドに行って考えてくる!」と言い出して、しばらくいなくなってしまったんです。

一人旅、しかも行き先がインドとなると、かなり大変そうですね。

梶田 たしかに大変だったんですが、それ以上に景色の美しさ、人柄の面白さに感激しました。会う人会う人、いい意味でも悪い意味でも、みんな素直でおせっかいな人ばかりだったんです(笑)。助け合いながら生きていくというコミュニティーの良さもまだしっかりと残っていて、いろんな人に助けられながら10日で4ヶ所ほどを旅しました。

インドのハンセン病コロニー(※社会から追い出された人たちが、みずから作りあげた村。インド国内に800ヶ所以上あるといわれる)の見学もしてみたいと思っていたので、IDEAジャパン代表の森元美代治さん(⇒森元氏へのインタビュー記事はこちら)の紹介でマザー・テレサの家(※インド、コルカタにあるホスピス。マザー・テレサによって開設された)にも行きましたが、現地スタッフの方から「危険だから、ひとりでは絶対に行ってはいけません」と言われて、このときは断念しました。

安田 梶田が代表に就任した年、私もチャオ執行部の会計&安全対策担当に就任しました。インドでの学生ワークキャンプに挑戦しようという話が出てきたのはそのあと、2010年の年明けくらいのことだったと思います。さっそく3月に総勢4名のチームをつくってインドへ行き、ワークキャンプの候補地となるコロニーを20ヶ所ほど見てまわったんですが、これがもう大変でした。

梶田 体調不良者続出、用意した費用をスリに盗まれたり、もうさんざんでした。私と安田が大ゲンカしたのも、このときでしたね。

安田 それまで参加した中国でのワークキャンプでは極限まで追い詰められる状況というのはなかったんです。自分でも対応能力は比較的ある方で、どこに行っても平気だろうと思ってました。

ところがインドに来てみたら、こんなつらい環境があるのかと驚くくらい大変で、しかもカオスなんです。「なんなんだ、この国は! こんなことで大丈夫か?」と、ずっと思っていました。すべてが衝撃的すぎて1分1秒たりとも気の休まるときがない。それで精神的にかなりきつくなって梶田と言い合いになってしまったんです。正直、インドから帰ってきたあとは、もう二度と行きたくないと思ってました(笑)。

でも、このままインドでのワークキャンプを諦めたらインドにも負け、梶田にも失望されたままになってしまう。何よりインドでお世話になった方々に、なにひとつ恩返しできないままで終わってしまう。このままじゃ終われないという思いで、再度インドに行くことを決心しました。

梶田 その決心がつくまでに1年くらいかかったんだよね。

就労支援トレーニングの様子。アクセサリー作りなどを指導することで就労支援、とくに女性の自立をうながそうとしている

協働型ワークキャンプという新しい試みから生まれるもの

梶田さんと安田さんは、インドで活動するにあたり、あらたにnamaste! というワーク
キャンプ団体をつくったわけですが、それはなぜだったんですか。

  • 各種インフラ整備などもコロニーの若者たちと一緒になって取り組む

  • ワークキャンプ期間中はパーティーや、さまざまな啓発活動もおこなわれる

  • キャンプの滞在期間は毎回ひと月ほど。写真は、お別れパーティーの様子

安田 当時チャオが行っている中国でのワークキャンプは一回の参加者が80名を超えることも珍しくないという状態で、かなりの大所帯になっていました。インドの状況を考えると、それだけの人数が一度に渡航することはまず不可能ですし、安全対策という面でも非常に難しい。当初からインドで活動するなら別団体を立ち上げて安全対策をしっかりやり、少人数から始めるしかないだろうと思っていました。別団体を立ち上げて自分たちだけでやっていくことについては、迷いはなかったです。

梶田さんたちは自分たちのワークキャンプを「協働型ワークキャンプ」と呼んでいます
ね。協働型とは、具体的にどのようなことを指しているのでしょう。

梶田 協働型というスタイルをうたっているのには、インド特有の事情が大きく関わっています。インドではハンセン病にかかった人は家族やコミュニティーから追放され、カースト(※ヒンドゥー教における社会身分制度)のどこにも属さない存在、いわゆる不可蝕民になってしまいます。また、当事者の子どもや孫の世代も激しい差別やいじめがあるために学校教育を受けることができず、まともに職に就くことすらできないという現実がある。不可蝕民の子どもや孫も不可蝕民にカテゴライズされ、差別の対象となってしまうんです。

健康であるにも関わらず、多くの若い人たちが負の連鎖から抜け出せずに物乞いをしたり、何もせずに暮らしています。こうした問題を解決していくためには、やはり外部からの支援だけでは限界がある、コロニーで暮らす若い人たちにも意識を変えてもらう必要があると思いました。

井戸掘りをしたり、屋根の修繕をしたりするだけでなく、コロニーに暮らす若者たちにも積極的に参加してもらい、「自分たちでコロニーをよくしていこう」という意識をもってもらえるよう訴えかけていく。コロニーの若者たちを巻き込んでいくというところが協働型ワークキャンプの大きな特徴です。

安田 私たちがワークキャンプでコロニーを訪れるのは年2回、それぞれ1ヶ月程度。それ以外の期間が10ヶ月もあるわけで、彼ら自身に自覚をもってもらわないことには、なにも変わっていかないと思いました。同じ部屋に泊まって遅くまで語り明かしたり、一緒になってコロニーの将来を考える。そのなかから将来のリーダーが生まれ、自治組織が自主的に運営されるようになったらいいなと思っています。

現在おこなわれている取り組みには、どんなものがあるのでしょう。

梶田 インフラ整備などのワークキャンプ本来の活動のほか、紙芝居や劇による啓発活動もしますし、コロニーの子どもたちと遊んだり、一緒に水浴びに行ったりもします。「支援者と被支援者」という型にはまった関係ではなく、あくまでも同じコロニーをよくしたいと考える仲間として、ともに頑張るという姿勢を大切にしています。

もちろん最終目標はハンセン病に対する差別撤廃、差別にともなう社会問題の解決ですが、私たちが日頃ワークキャンプでやっていることは、街おこしやコミュニティーの再生といった活動にかなり近いのかもしれません。

インドでのワークキャンプは現在、学生たちが中心となって活動を続けている。namaste! つくば支部の学生たちと

NPO法人わぴねすの設立で変わること、変わらないこと

活動開始から5年目となる2016年5月には、今まで手がけてきた事業を統合するかたちで
NPO法人「わぴねす」があらたに設立されましたね。現在、梶田さんたちはどのような体
制で活動を進めているんでしょうか。

  • わぴねすの特徴はワークキャンプ、就労支援、教育事業という3つの事業がお互いを補完している点にある

  • ワークキャンプ開催は年2回だが、くり返し訪れることでコロニーの人たちとの絆はどんどん深まっている

梶田 柱となっているのはワークキャンプ事業、就労支援事業、教育事業という3つの事業です。中心となっているのは、先ほどからお話している協働型ワークキャンプですが、差別のために職に就けない人、とくに女性の自立を助けていくための就労支援、次世代のリーダーとなる人材を育成していくための教育事業なども非常に重要なんですね。3つの事業がお互いに補い合うことで、ひとつの事業では解決できない問題を解決していきたいと考えています。

namaste! には筑波大学の学生を中心とした「つくば支部」、名古屋大学と南山大学の学生を中心とした「名古屋支部」というふたつの支部があって、2015年3月のキャンプからは現役の学生たちがすべて自分たちで運営する形に移行しました。見守る側としては正直かなり不安でしたが、何ごとも自分たちでやらないことには進歩しないですから。ワークキャンプはウエスト・ベンガル州のコロニー2ヶ所で行っていて、学生たちが渡航するのは3月と9月の年2回。年間40名の日本人学生が参加しています。

安田 2016年3月のワークキャンプが終わったあとには、コロニーの若者を対象とした大学進学応援プロジェクトをやりたいという声が出ましたが、これも資金集めから現地への送金まで、すべて学生たちだけでやり遂げました。以前と比べると、すごい進歩だと思います。

そういった声が自発的に出てくるのも、協働型ワークキャンプならではという感じがしますね。

安田 そうなんです。ワークキャンプで入っているビシュナプールというコロニーに今年高校を卒業する3人の学生がいるんですが、その子たちは「ワークキャンプに来る日本の学生たちと話してみたい」という一心で英語を勉強して、通っている高校も、とても良い成績で卒業できることになりました。もちろん大学にも行きたいと思っているんですが、そのためのお金がない。

そこでワークキャンプに参加していた学生たちの間から、3人の進学資金を集めたいという声が出ました。ワークキャンプから帰ってきたのが3月下旬で現地の大学で新学期が始まるのが9月。進学に必要な資金は遅くとも6月までには送金しないといけないという、けっこうぎりぎりのスケジュールでした。

進学のための資金はどうやって集めたんですか。

梶田 学生たちが資料をつくって各方面にプレゼンに行き、寄付を募りました。名古屋大学では学園祭のフリーマーケットで家にあった不要品を売って資金を集めたり、みんなかなり頑張ったみたいですね。

安田 でも学生たちには、「彼らが卒業するまでしっかり見守ることができて初めて意味が生まれるんだよ」と、つねに言っています。ワークキャンプに参加する学生は毎年入れ替わっていくので、ゴールを明確に意識しながらプロジェクトを進めていくことも、とても大事なことだと思っています。

ちょっと気が早いかもしれませんが、わぴねすの目指すゴールとは、どんな「もの」ある
いは「こと」なのでしょうか。

  • ハンセン病コロニーでの活動を通じて、差別のない社会を目指していきたいと語る梶田さんと安田さん。わぴねすの活動はまだ始まったばかりだ

梶田 ハンセン病は人類の歴史が始まって以来、ずっと差別の対象として扱われてきました。現在、私たちはインドのハンセン病コロニーの差別問題を解決するべく活動をおこなっていますが、それはインドという国でハンセン病問題を解決することに、とても大きな可能性を感じているからです。

インドにおけるハンセン病問題、ハンセン病コロニーの環境は世界でもっとも過酷、かつ劣悪と言われていますが、それが解決できたなら、その手法は他のマイノリティの人たちが抱える問題にも活かしていけるのではないか。私たちはそんな風に考えているんです。

最終的にわぴねすが目指すゴールは「あらゆる人がいきいきわくわく生きることのできる社会を構築すること」。国籍・宗教、性別など、いかなるバックグラウンドにも囚われることなく、すべての人たちがみずからに誇りをもち、生きていける社会をつくれたらと考え、日々活動しています。

安田 社会に暮らしている人たちって、みんな何らかのマイノリティに属しているのだと思います。たくさんのマイノリティが集まってできたのが私たちの社会で、差別というのは、ほかのマイノリティを自分とは関係のないこと、理解できないものだと思う心から生まれてくるのではないでしょうか。そうならないためには、さまざまなマイノリティの問題を他人ごとではなく、自分ごととして考え、お互いに認め合っていくことが大切だと思います。

そうやって多様性を認めて、お互いに手を結びあっていくことが、差別のない社会の創造につながっていくのではないでしょうか。

梶田 ものすごく大きな目標で道のりもまだまだ遠いですけど、私たちがわぴねすでやっていきたいことって、最終的には、そういうことなんです。

NPO法人わぴねす
http://wappiness.org/

取材・編集:三浦博史 / 写真:川本聖哉

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