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【連載】学生が見た「THINK NOWハンセン病」#10:インドのハンセン病コロニーを見 つめて

Topics 2019.6.7

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日本財団は、一人でも多くの人がハンセン病への理解を深め、偏見や差別について考える機会をつくるための運動「THINK NOW ハンセン病」を行っています。キャンペーンは、ハンセン病についての正しい理解を促進し、企画者・参加者が共に学びの機会を得られる活動であればロゴを使用するだけで、どなたでも参加できます。


 

今回は、筑波大学 村松翼さんの活動をご紹介します。

筑波大学 村松 翼

現在、私はNPO法人わぴねすのインドワークキャンプ事業を運営する学生団体namaste!のワークキャンパーとして、インドのハンセン病コロニーで活動しています。

インドのハンセン病患者の概況
インドは、ハンセン病の新規患者数が世界で最も多い国と言われています。年間で約13万5000人が発症し、これは世界のハンセン病新規患者数の6割以上を占めています(2016年WHO調査)。1991年、WHOはハンセン病患者が人口1万人当たり1人未満になることを「公衆衛生上の制圧」と定めました。インドでは不可能とされていましたが、各州政府の懸命な努力によって2005年に制圧を達成することができました。しかし、いまだに毎年の新規患者数が横ばいの状態が続いており、今後も努力が必要とされています。

コロニーについて
インドにはハンセン病患者や回復者が住む「コロニー」(いわゆる定着村)が700か所以上あると言われていますが、このコロニーは、インドのハンセン病差別問題を考える上で重要な意味を持っています。そのため、ここでコロニーについて説明したいと思います。

そもそも、インドにおいて一度ハンセン病を発症した人は、元のカーストから除外され不可触民、つまり「触れてはいけない者」というレッテルを張られます。そして彼らは、家族や地域から追い出され、浮浪し、やがて繁華街や線路の付近に集落のようなものを作りました。こうしてできたのが「コロニー」です。ただし、コロニーは村人たちが土地の認可を受けずに勝手に形成しているものが多く、土地の所有者と争いになったり、時には放火されたりといったケースもあります。

コロニーの村人は、第一世代、第二世代、第三世代に大きく分けられます。第一世代の村人は、ハンセン病の回復者であり、後遺症を抱えている人が多いです。また、教育を受けていない人が多く、年齢的・肉体的に働けないため、物乞いで生計を立てています。次に第一世代の子供である第二世代の村人は、ハンセン病罹患歴のある人は少ないものの、年齢的・肉体的には働ける世代です。ただし、教育を受けていない人が多く、低賃金の日雇い労働や無職の人が多いです。最後に第三世代は、回復者の孫の世代です。ハンセン病罹患歴のある子どもは少ないものの、教育を受けている子どもは少なく、家が貧しい子どもの中には児童労働をしている子どももいます。

また、ハンセン病に対する差別を起因として、コロニーには他にも多くの問題が存在します。第一に劣悪な居住環境です。そもそも、コロニーは定着村であることから、形成当初より安心して健康に暮らすことのできる居住環境ではありません。また貧困であるため、自らの手で居住環境を改善することが難しい状況にあります。

第二に就労機会の欠如です。「不可触民」や「コロニー出身である」というレッテルは、周辺地域にて村人が働く機会を奪います。また彼らにはお金がないため、自ら事業を始めることも不可能です。それゆえ、コロニーの第一世代である回復者はおろか、第二世代の就業可能な年代までが就労し難い状況にあると言えます。

第三に教育機会の欠如です。就労機会に乏しい大人たちの少ない収入では子どもたちに充実した教育を受けさせることができません。また、コロニー出身者に対する差別は、学校でのいじめの原因となるなど、子どもたちを学校から遠ざけています。それゆえ、コロニーの子どもたちは義務教育を終える前に退学となり、児童労働や物乞いをせざるをえない状況にあります。さらに、たとえ高校生まで通えたとしても、大学の学費を賄えず進学を断念するケースが多くあります。それゆえ、コロニーには日雇い労働といった収入の少ない職業をせざるを得ない青年が多くいます。

第四に医療サービスの不足です。コロニーでは、後遺症のある回復者の身体面へのケアが十分に行き届いていません。以前より状況は改善傾向にあり、近隣の公立病院を受診できるようになりつつありますが、いまだに他の患者が怖がるからという理由で、後遺症の重い回復者に関しては受診を拒否されている場合もあります。

さらに、これらの問題を抱え社会から疎外されることで、コロニーの村人は日々尊厳を奪われています。彼らは、「自分は生きる価値のない人間だ」と感じることで、社会で頑張ろうという気力をそぎ落とされ、周辺地域から分断されているのです。以上のような「差別の負の連鎖」が第一世代である回復者の人々のみならず、第二世代、第三世代にまで及んでいるのが現状です。

インドのハンセン病コロニーの背景をまとめると、コロニーの村人たちは、「差別」と差別に起因した「貧困」という問題に直面していると言えます。700か所以上あるコロニーによって状況は異なりますが、この二つの視点でコロニーを捉えることが重要です。

コロニーで出会った村人たち
私は、こうした背景を持つコロニーの一つである、ウエストベンガル州に位置するビシュナプールコロニーのワークキャンプ活動に参加しました。しかし、活動当初に抱いていた印象とは異なり、実際に訪れてみると、暗い部分ばかりでは決してなく、明るい村人の姿に出会うことができました。腕相撲やカバディなどとにかく遊ぶことが大好きで元気な子どもたち、「英語を教えて!」、「彼女はいるの?」と近寄ってくる中高生、頼りになる大人たち。暗い背景を持ちながらも、日本人に優しく接してくれる彼らの魅力に触れて、気付けば三回もコロニーに通っていました。特に、私はおじさんやおじいちゃんたちと一緒に「ビリ」という煙草を吸っている時が好きです。何を話すわけでもないけれど、なんとなく同じ空間にいる、そのなんとも言えない時間がとても居心地がいいのです。ただ、彼らは、いつもビリをくれと言います…これが彼らの文化なのかはわかりませんが、一緒にタバコを吸うとき、いつもその場の誰かのタバコをみんなで吸っているように見えます。今ではもう何とも思わずタバコを差し出してしまいますが、たまにお返しとして何かくれたりするので、おあいこかなと思っています。

しかし、彼らとずっといると、時折、暗い顔を見ることがあります。「英語を教えて!」と言って私が持っているベンガル語帳を見つめて、熱心に英語訳を聞いてくる男の子と話していた時のことです。あまりにも熱心に聞くので、私が「すごいね!」と褒めると、彼は、「俺は学校に行っていないから…」と言いました。私が「なんで?」と聞くと、「家が貧乏だから働かないとならないんだ」と言っていました。それまで、いろいろ問題がありながらも、彼らは明るく生きているんだと思っていた私にとって、その会話は、改めて問題の暗い部分を垣間見た出来事でした。同時に私は、彼らと仲良くなれたと思い込んでいたものの、実のところ、彼らのことをまだ何にも知らないと思い知らされたのでした。彼らは、私たちが知らない辛い経験を顔には出さず、私たちに優しく接してくれていたのです。それを思うと、頭が上がらない気持ちになりました。

経験を通して思うこと
私がハンセン病に関わってきて思うことは二つあります。一つは、誰でも「差別者」になりうる、ということです。私は、コロニーに行く前、自分は差別者じゃないからこの活動に参加しているんだと思い込んでいました。しかし、それは間違いであることにすぐ気づかされました。その瞬間を今でも覚えています。初めてのワークキャンプの時のことです。コルカタからの列車を降りた時、コロニーの村長が私たちを迎えてくれました。彼は、私が初めて目にした村人であり回復者でした。彼は満面の笑みで私たちを歓迎し、握手を求めてきました。ワークキャンプ参加が二回目のキャンパーは自然とそれに応じる中、私は無意識に彼の手に目をやっていました。そして一瞬、握手をすることに戸惑いました。私は、そのことにとても驚きました。なぜなら自分はそんなことはないだろうと思い込んでいたからです。そして、そんな自分を恥じ、自分は結局、「差別者」だったと気づかされました。しかし、こうしたことは誰にでも言えることだと思います。自分とは何か違うものを目にした時、おそらく、人は本能的にそれを拒否してしまうのだろうと思います。それはある意味当然のことで、自分の身を守る上で必要なことだからです。だからこそ、私は、誰でも差別者になりうると思っています。

そして、二つ目は、自分が差別者になりうることを認めたうえで、その心と向き合う必要があるということです。私は村長との握手を戸惑ってしまったことをずっと考えていました。『私は、彼を差別してしまったのだろうか』と。しかし、村長を含めた村人たちと過ごし、彼らの人となりがなんとなくわかってくると、最初は戸惑っていた彼らとの触れ合いを自然にできるようになってきました。そこで私は再び気づかされました。私は彼らを「ハンセン病」の人としてしか捉えていなく、「○○さん」といった一人の人間として見ていなかったということを。人を勝手にカテゴライズしてしまうこと自体が偏見や差別の始まりであり、その人自身を見れば色んな面が見えてきます。そうすれば、自分と「○○さん」の関係性の中で、相手を見ることができます。だからこそ、自分が差別しうる心を持っているとしても、一歩踏みとどまって相手を知ろうとすることが大事だとわかりました。

インドのハンセン病コロニーに行ったこと、そして「ハンセン病」を知ったことは、私の人生の重要な一ページとなりました。もしコロニーに行かなければ、私は今も何も考えずに偏見だけで人を差別していたと思います。もちろん、今でも全てに偏見を持たずに暮らしているとは言えませんが、それでも、自分に偏見があるということがわかるようになりました。そして、遠いインドの地に友達ができました。行く度に「お前は次いつ来るんだ」と言ってくれる友達が。おそらく私は、これからも何らかの折にインドに行き、彼らに会いに行くんだろうと思います。まだまだ私が知らない彼らをもっと知りたいから。