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多磨全生園「土塁・堀の考古学調査」の成果報告会が開催されました

Topics 2017.3.28

DSC010972017年3月26日(日)、国立ハンセン病資料館で、「土塁・堀の考古学調査」の調査報告会が開催されました。

DSC01171この調査は2016年11月中旬から12月下旬まで実施され、旧全生学園の跡地から幅およそ4メートル、深さ2メートルもの規模の堀の遺構が発掘されました。この堀は、そのすぐ横に築かれた土塁とともに、1909(明治42)年の多磨全生園開設当初(当時は全生病院)の隔離政策を象徴するものとされ、当時の敷地を完全に囲むようにつくられたと言われています。その後、1925年ごろから30年ごろにかけて、敷地を拡張する際に土塁が崩され、堀も埋め戻されたため、長らくその存在は、入所者たちの証言や記録写真によってしか確認できなくなっていました。

報告会では、はじめに調査の責任者である国立ハンセン病資料館学芸部長の黒尾和久さんが、「全生病院」時代の古い写真をスクリーンに映しながら、「我と彼とを隔てる」堀と土塁がいつごろどのようにつくられたかを解説。また“患者作業”によって敷地の拡張時に新たに築かれた堀と土塁や、入所者により「望郷の丘」と呼ばれている築山のなりたちなどについて、今回の調査によって新たに解明したことを語りました。

_mg_1247つづいて発掘調査にたずさわった株式会社DAISANの藤野修一さんが、2016年2月に行われた花さき保育園近くの新しい堀と土塁の調査とあわせて、今回の旧全生学園の跡地調査のプロセスや分析結果を報告。堀の断面に見られる土層の形状から、堀の埋め戻しは土塁を崩した土によって行われたのではなく、土塁を残したまま新たに運ばれた土によって行われたことが明白であるとの話もあり、黒尾さんが古い写真を分析して推理したことが、今回の調査で考古学的にも裏付けされる内容となっていました。

最後に黒尾さんは、これらの遺構の近代日本の歴史遺産としての価値を改めて強調するとともに、考古学的手法による発掘調査によって遺産価値が可視化されることの意義について語って、報告会を締めくくりました。

なおこの「土塁・堀の考古学調査」の調査報告会の内容は、近日中に当サイトで詳細レポートをお届けする予定です。またあわせて、当サイトがこれまで取材した、堀の発掘調査の関連記事もご覧ください。

 ⇒http://leprosy.jp/topics/topics161128/
 ⇒http://leprosy.jp/topics/topics161220/
 ⇒http://leprosy.jp/topics/topics170110/

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