ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Eliimination

世界の島は語る

デシレ島

ラウル・フォレローが手を差し伸べた、西アフリカの「願いの島」

デシレ島はコートジボアール最大の都市アビシャン近くの内海に浮かぶ島。デシレ島とは「願いの島」という意味。

1900年代初頭のフランス統治時代、ハンセン病患者の隔離が行われ、デシレ島もその一つとなった。1900年代はじめ、この島の近くに修道女を乗せた飛行機が不時着し、偶然にもこの島で生活するハンセン病患者の生活に触れ、その劣悪な生活環境に驚いた。(1936年、コートジボアールでは15,439名の患者が確認されているがその内何名がデシレ島にいたかは不明である。)

1939年、修道女からフランスの人道主義者・社会活動家のラウル・フォレローへ支援の要請があった。フォレローは島がハンセン病患者の牢獄であり墓場であることに驚き、彼らを救済することを決意、コートジボアールの内陸部を切り開いて村を造り、デシレ島の住民を移住させた。1942年、「アゾペ村」と名づけられたその村は、患者たちが人間としての誇りをもって生きるために造られ、広い敷地に診療施設、住居、学校などが整っており、当時としては画期的なハンセン村のモデルであった。アゾペ村は1961年から政府やフォレロー財団の支援を受け、ハンセン病の研究も行われた。1990年代以降ブルリ潰瘍の外科治療も行われている。

デシレ島

国:コートジボワール共和国
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ゆかりの人物

ラウル・フォレロー(1903~1977)

弁護士であり詩人であったフォレローは1935年、アフリカのサハラ地方でハンセン病患者とはじめて出会い、その差別の強さに驚き、彼らを救うことを決意した。
さらに世界の各地に知られざるハンセン病問題があることに気付き、1943年に世界らい病委員会を設置、全世界の患者の数、分布、社会的状況、支援状況などの資料を収集することを提唱したが、その実現にはそこから20年もの歳月を要した。
1954年、「世界ハンセン病の日」(毎年1月最後の日曜日)を提唱、「ハンセン病との闘いは単に病原菌との闘いに終わらない。また患者のコロニーの問題だけでもない。この闘いは我々自身の心の中の闘いでもある。我々1人ひとりが心の中に受け継いでしまったハンセン病に対する恐怖感を勇気をもって乗り越える闘いだ。」「この病気に対する罪悪ともいえる恐怖感をいだいている『健常者』も同時に『治療』されなければならない」と述べており、その感性は現代の私たちにも通じるものがある。
1956年、ローマで「らい患者の保護と社会的リハビリテーション」と題された国際会議(ローマ会議)の開催も彼の提唱したものであり、その場で日本の隔離政策が厳しく言及された。
1930年代から1960年代にかけて、ラウル・フォレローは世界中で、ハンセン病問題に対して警鐘を鳴らし続けた。

デシレ島にまつわる写真

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