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料理研究家
Yoshiko Tatsumi

辰巳 芳子

私、ハンセン病全体について、申し上げる程の、そういう深い考え方を持っていないんですけれども、2〜3年前から、宮崎かづゑさんとおっしゃる方とかかわりができて、その方を通して、私が宮崎さんと関係ができたときに、神様はあの方を知ることで、私の最後の仕上げをしようとしてらっしゃるかなあ、と直感したんですね。私のわがままをね、あの方が直してくださると、そう思っていました。宮崎さんがお書きになったものの中でね、「らい病(ハンセン病)を病むということは、人間業ではないのだ」っていう一言があるのね。で、その内容を宮崎さんに伺ってみると、「今日の私の幸せはらい病(ハンセン病)を病んだことによって出来上がった。人間業ではないと思うっていうのはそのことです。」とおっしゃったの。「今あるのは、らい病(ハンセン病)のおかげだ。」と、こういう風におっしゃったの。私、その深さっていうのはね、一通りや二通りのことではないと思う。で、あの方は10歳の時から愛生園(国立療養所長島愛生園)に入って、そして戦争の経験を、そのときはあそこは食べ物も少なく、子供の身に余る労働もしなければならなかったしね。たくさん、泣きたいことがあったと思うんだけれど、それも全部自分自身を完成させる方向に収めていらしたのね。40代だったかな、長いことあの方は鬱を患ったのね。旦那様が良い方で、その鬱のかづゑさんをずっとお支えになった。で、それを患いながらあの方は、らい病(ハンセン病)を患うという意味を自分の中に完成させていらしたんだと思う。これはね、並々のことではないですね。あれほど綺麗な日本語でね、電話でお話しできる方いないわね。とても綺麗な日本語をお使いになる。誰があの綺麗な日本語をあの方に教えた、っていうそのお手本は、なかったと思いますよ。本を読むのが好きだった、ていうことだけだった。お話ってものは、相手があってのことでしょ。相手もないのにね、どうしてあんな綺麗な日本語を使えるのかと思ってね。めずらしいわね。で、今私はらい病(ハンセン病)って言ったけど、あの方はね、「ハンセン病っていう言葉を使うのが嫌い。病気の真実を言い得ていないような気がする」と言うんです。だから、「らい病(ハンセン病)はらい病(ハンセン病)だ。」って。あの方のお書きになったものに、『長い道』という本がありますので、皆様これをお読みになるといいと思う。それからもう一つ、仲良しの、かずちゃん。あの方(西トヨさん)の亡くなるまでのことを書いた、『あの温かさがあったから生きてこれたんだよ』ていう本がございます。それ両方読んでくださるといいと思います。私は本当に最初申し上げたけど、自分のわがままを宮崎さんをお手本にして直していきたいと思っています。THINK NOW ハンセン病。

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