Vol.15 2016.8.22
国連への働きかけ(2)――国連初となった「ハンセン病と差別」の問題提起
私がようやく国連で発言する機会を得たのは、2004年3月の国連人権委員会の本会議でのことでした。与えられた時間はわずか3分間だったものの、53カ国の代表者を前にスピーチをすることができたのです。このときのスピーチは、国連での初めての「ハンセン病と差別」についての歴史的な公式発言となりました。少し長くなりますが、その内容をここに全文引用しておきたいと思います。
ハンセン病は、有効な治療をしないでいると身体に大きな障がいを発生させる病気です。したがって、大昔から人々はハンセン病に対する恐怖心と嫌悪の情をもち続けてきました。そのため患者は隔離されてきました。そして隔離は差別を生んできました。その差別はハンセン病の患者を社会ののけ者と指摘しました。ハンセン病患者は死ぬことより辛い生を生きることになります。家族はその一員に患者がいることを世間に知られることを恐れました。患者たちは隠れた存在とされてきました。そして見捨てられたのです。
現在、ハンセン病は治る病気になりました。1980年代初期以降、1200万人の人が治癒しています。116カ国で制圧が達成されました。現在、世界の新たな患者数は60万人弱です。しかし、問題は残ります。差別はいまだに社会に根強く残っています。回復者はいまだに結婚することもできず、仕事も得られず、教育を受けることもできないでいます。いまだに社会ののけ者として扱われます。問題は巨大で世界的規模であります。
ハンセン病が危険な病気や遺伝する病気であると多くの人が思っています。いまでも多くの人が、ハンセン病は天から与えられた罰だと考えています。ですからいまもなお数千人が隔離状態で生活しています。患者は家に戻ることができません。家族には(患者は)存在しない者とされています。昨年、私はWHOハンセン病制圧大使として、125日間、27カ国を訪問しました。私はこの目で差別を見てきました。
なぜハンセン病は今日まで人権問題として取りあげられなかったのでしょうか? その理由は、ハンセン病患者が見捨てられた人たちだからです。名前も身分も剥奪された人たちなのです。自分の人権を取り戻すための声すら上げられないのです。ただ黙ることしかできません。ですから、私はいまみなさんの前で訴えています。声を上げることができない人たちに対して注目をしてもらうためなのです。
ハンセン病は人権問題です。(国連人権)委員会メンバーにこの問題をなくすことに積極的に取り組んでいただきたい。世界で調査を行い、解決法を考えていただきたい。そして、ハンセン病にかかわる人たちのために、差別のない世界の実現に向けて指針を提示していただきたいと思います。ご清聴有難うございました。
人権委員会本会議と並行して、各国の回復者などがその国の差別の歴史と現状を会議の参加者に直接訴える特別報告会も開催しました。出席者は相変わらず10人前後と多くはありませんでしたが、回復者代表のひとりとして参加したインドのP.K.ゴパール博士の次のような言葉に、参加者は熱心に耳を傾けてくれました。
「いままで、ハンセン病患者や回復者は、自分たちに向けられる偏見にもとづく差別を人権侵害だと思ってきませんでした。ただ運命だと諦めてきたのです。でもこれからは、差別をなくすことは社会の責任であるという認識が広がると思います」
ゴパール博士はその翌年の2005年に、日本財団の資金で発足したハンセン病コロニーの居住者統合組織「ナショナル・フォーラム」の初代会長に就任した人物です。(ゴパール氏と笹川氏の特別対談はこちらから)
人権委員会本会議や特別報告会の数カ月後には、国連人権小委員会の専門委員25人を食事会に招いて直接説明する機会も設けました。私の説明を聞いたあと、最初に立ち上がったのは、人権委員会議長であるインドのソリ・ソラブジ元司法長官でした。ソラブジ氏は、自らの国、インドでハンセン病問題が深刻であることを憂慮し、「小委員会として、この問題に積極的に取り組もうではないか」と提案してくれたのです。
この発言のもつ意味はとても大きいものでした。ついに、国連が動き出したのです。