ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Elimination

WHO Ambassador's Column

コラム

WHOハンセン病制圧大使:笹川陽平活動記

Vol.03 2014.11.27

ネパール国境地帯で出会った、現実と希望

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日本財団によるネパールでのハンセン病支援活動は、今からおよそ40年前、1975年から行われてきました。にもかかわらず、ネパールはアジアのなかで、もっとも「制圧(WHOが定めた目標数値で、有病者数が人口1万人あたり1人未満になることを意味します)」に時間がかかった国のひとつだったのです。

ネパールは、近年まで政府軍とマオイスト(毛沢東主義者)による内戦が続き、長らく政情が不安定でした。私はこれまで何度もネパールを訪問してきましたが、治安が悪く、足を踏み入れることのできない地域が多くあったのです。最近は、ようやくどこでも訪問が可能になりましたが、ネパールにおいてハンセン病制圧に時間がかかった最大の理由が、じつはもうひとつありました。ネパール独特の厳しい地形です。
ネパールは国土の8割が山岳地帯で、道路もまったくと言っていいほど整備されていません。病院から遠く離れて住む人が多いため、ハンセン病に関する正しい知識の普及や、医療サービスなどが、どうしても滞りがちになってしまうのです。

とくに患者数が多いのが、インドとの国境地帯にあるバンケ郡という地域で、ここにはネパール国内のハンセン病患者のうち、約8割が集中していると言われています。なぜ、この地域に、これほど多くの患者が集中しているのか。その理由を探るため、私は2014年夏、初めてこの地を訪れました。現地へ向かう道路は、舗装も十分にされていない悪路で、車1台がやっと通れるような狭い橋も、至るところにあります。

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ようやく辿り着いたネパールとインドの国境地帯。そこで私が目にしたのは、人口1万人あたり1人未満という「制圧目標」が抱える矛盾、そして、一筋縄ではいかない、厳しい現実でした。
ネパールの病院には、国境を超えて、たくさんのインド人患者たちがやってきていたのです。理由のひとつは、新規患者数が少ないネパールでは、インドよりも手厚い治療を受けることができること。また、インド〜ネパール間の行き来には、パスポートが不要であるため、現地の病院には、インドから患者がひっきりなしにやってくるとのことでした。視察したINFクリニックには、ハンセン病患者のためのベッドは、わずか10床しかありませんでしたが、だからといってネパールの患者を優先するわけにもいきません。病気と闘う医師にとって、国境は存在しないからです。

その後、行われた会合では、世界中無料で配布されているはずのハンセン病の治療薬が、インドの一部の地域では有料で販売されている、という、信じられないような話も耳にしました。インドから患者たちがやってくるもうひとつの理由は、ネパールで無料提供される薬を求めてのことだ、というのです。
あってはならないことですが、これもまた、私たちの世界における現実なのです。こうした現実を知り、問題を解決していくこともまた、WHOハンセン病制圧大使である、私の使命に他なりません。決意も新たに、私は国境地帯をあとにしました。

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今回のネパールでは、うれしい出会いもありました。タラタル村にある、セルフヘルプグループ(国からの助成金をもとに、回復者自身が医療情報の普及、新規患者の発見などを行うという、世界でも珍しい組織です)を激励しに行ったときのこと。セルフヘルプグループのリーダーである女性、プレムさんが、報道陣を前に、こんなスピーチをしてくれました。

「この貴重な場をお借りして、社会に訴えたいことがあります。私たち回復者にも、できることはあるということです。地域の中には、今もなお偏見があります。そして、私たちの手足には、ハンセン病による障がいがあります。ですが、何もできないわけではありません。かつて洞窟で暮らしていた私たち回復者が、表に出られたときのように、今日を機に、新しい未来が始まることを楽しみにしています」

ハンセン病が治る病気になった今も、患者や回復者、その家族に対する偏見、差別には、いまだ根強いものがあります。そうした偏見、差別を打ち破っていくためにも、回復者自身が声をあげていく必要がある。そうした回復者たちの活動をサポートすることもまた、私たちが行っていくべき、重要な役割なのです。

>ハンセン病の現場にレンズを向けてvol.2「ネパールの国境地帯を往く!」を見る