Vol.21 2017.3.30
国連への働きかけ(4)――政府との連携でピンチを乗り越えて
私と日本財団のスタッフが精力的に働きかけを続けてきた「ハンセン病の差別撤廃」が、ついに国連の人権委員会総会で決議にかけられる――。そう喜んだのも束の間、2006年に大事件が起こりました。それは、国連の組織改編です。人権委員会が新たな組織「国連人権理事会」に変わるとともに、小委員会は廃止になるという内容でした。
この改組により、これまで、私たちの考えに理解を示してくれた委員たちは皆、交代してしまいました。しかも、各国政府代表の権限が強化され、日本財団のようなNGOの発言力は弱められるということでした。
いままでの努力が水泡に帰すのかとがっかりしましたが、ここで諦めるわけにはいきません。人権理事会で政府の権限が強くなるなら、日本政府に頑張ってもらいたい――。そう考えた私は、この件に取り組んでくれるよう外務省に強く申し入れました。
日本政府が国連に対し、期待どおりの働きかけをしてくれた結果、ついに人権理事会で「人権問題としてのハンセン病」は、「先住民の権利」に次ぐ2番目の議題として取り上げられることになりました。数多くの議題のなかで、ここまで早く取り上げてもらえたのは、日本政府の力によるところでしょう。
2007年には、政府は「ハンセン病による差別解消を国際社会に訴える」ことを外交の柱の一つに決定。その活動の中心となる「日本国政府ハンセン病人権啓発大使」として私を指名してくれました。これを受けて、当時の在ジュネーブ日本政府代表部の藤崎一郎大使も、人権理事会の全体会議において「ハンセン病に関する人権問題」が取り上げられるようあらためて要請するなど、積極的な活動をしてくれました。
こうして、一時は振り出しに戻ってしまったと思われた国連での活動は、日本政府外務省の協力のもと、これまで以上のかたちで、体制が整うこととなったのです。
さらに日本政府は人権理事会に対し、「ハンセン病の患者、回復者、その家族に対するスティグマと差別の撤廃」決議案を提出しました。しかし、「人権」の問題は当事者の利害関係や政治的立場が複雑に関係することから、会議で決議を得るのは簡単なことではありません。そこで私は、当時のジュネーブ代表部の猪俣秋男公使とともに、理事会の主要メンバー国27カ国を行脚し、説得してまわることにしました。
そのなかで、もっとも思い出深いのがキューバと中国です。この2カ国はそれまで、日本政府の提案に対して常に反対をとっていましたから、説明しても無駄とも考えましたが、対話のないところに理解は成立しないと思い、両国の大使を訪ねたのです。
さて、両国との交渉はどうなったでしょうか。結果は次回にお伝えします。