Vol.22 2017.3.30
国連への働きかけ(5)――キューバ、中国を説得し、全会一致で可決
政治的な問題を背景に、それまで日本政府の提案にことごとく反対してきたキューバと中国。両国との交渉には、相当な戦略が必要でした。私はまず、ジュネーブにあるキューバ政府代表部を訪れ、大使に会うことにしました。そして開口一番、次のように切り出したのです。
「私はあなたの国の偉大な指導者、フィデル・カストロ議長とともに、WHOの表彰を受けたこともあります。カストロ議長はじつに立派な方でした。また最近、私は、カストロ氏のかつての盟友、チェ・ゲバラの青春を描いた映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観て感銘を受けました。ゲバラが医師としてハンセン病に大変関心を持っていたことは、もちろん大使もご存知でしょう。私はあの映画から、ハンセン病問題はモーターサイクルと同様に、医療という前輪、人権問題という後輪の両方を回さなければ解決しないという大きなヒントをいただいたのです」と。
さらに、次のように論を展開しました。キューバが東ティモールの医学生を受け入れるなど、発展途上国の医療教育にも熱心に取り組んでいること。現在、アフリカの医療がここまで進歩したのも、キューバのおかげであること。これらはすべてカストロ議長の指導力のたまものであること。WHOができたのもカストロ議長の考えがあったからで、私の取り組むハンセン病の仕事もその延長にあること――。
こうして熱っぽく話しかけるうちに、キューバ大使の目が潤んできました。そして私に握手を求め、「この件に関しては、私が責任をもってやる。あなたは何も心配するな」と何度も繰り返し言ってくれたのです。
次の相手は中国です。こちらの大使は口数も少なく、お世辞にも愛想がいいとは言えないタイプの人物でした。それでも私は、父の笹川良一が鄧小平氏と会談し「指切りげんまん」をして意気投合したエピソードで会話のいとぐちを掴みました。そしてこう畳みかけたのです。
「病気というのは、政治も思想も宗教も関係なくかかってしまうところに問題があり、それが人類共通の悩みとなっている。このことに国境は関係ないはずです。もしあなたもそう思うなら、ぜひ協力してほしい」。
中国大使は、キューバ大使のように激しい感情を表すことはなかったものの、「本国に連絡して協力しましょう」とその場で約束してくれました。こうして国連人権理事会の主要メンバー国の代表部への説明は、なんとか無事に終わったのです。
2008年6月18日、議長の振るった木槌(ガベル)の音が、人権理事会の会場に、厳かに響き渡りました。人権問題について初めて世界がひとつにまとまった瞬間です。日本政府の提案した決議案は、なんと59カ国の共同提案として上程され、「投票なしの総意」として全会一致で承認・可決されることになったのです。つまり、キューバと中国も共同提案国に名を連ねていたわけです。たしかに両国とも協力を約束してくれていたとはいえ、「賛成票を投じる」という意味だと理解していた私にとって、このことは大きな驚きでした。