Koyama Fukusei Hospital - Fukusei Memorial Hall
神山復生病院・復生記念館
静岡県
Leprosy Sanatoriums & Resource center in Japan / 日本のハンセン病療養所・資料館
Koyama Fukusei Hospital - Fukusei Memorial Hall
静岡県
日本初かつ民間のハンセン病治療院としての
苦闘と献身の歴史をいまに語り伝える
神山復生病院は、日本初のハンセン病治療および療養のための施設として1889(明治22)年に開設された。そのはじまりは、パリ外国宣教会のジェルマン・レジェ・テストウィド神父が伝道中、家族から見捨てられ水車小屋に暮らす一人のハンセン病者の女性と出会ったことにあった。テストウィド神父はハンセン病者の救済を決意し、1886(明治19)年、鮎沢村(現御殿場市新橋)に一軒家を借り、5、6名の患者を受け入れた。さらにその2年後の1888(明治21)年、御殿場市神山の現在の病院敷地を購入し、その翌年復生病院を開いた(このとき在院者数は14名だった)。
以降、パリ外国宣教会から代々神父が院長として赴任し、私立病院であるがゆえの経済的苦労を強いられながらも、各方面からの援助や助成を得ながら運営基盤の強化に尽力。また、病院の施設とともに在院者のための娯楽施設なども次第に整備されていった。また1923(大正12)年より、誤診によって復生病院に入院していた井深八重が当院唯一の看護婦となって赴任、以降長きにわたってハンセン病者の救済に生涯を捧げることとなった。
1930(昭和5年)には、日本のカトリック教会の指導者としても名高い岩下壮一神父が6代目院長に就任し、復生病院を近代的な病院施設とするための5カ年計画をたて、さまざまな事業に取り組んだ。岩下院長時代、創立50周年を迎えた1939(昭和14)年には、在院者数は135名とピークに達している。
戦後、プロミンによってハンセン病が「治る病気」となったことで、在院者は次第に減少していった。1996(平成8)年に「らい予防法」が廃止されると、一般病床を編入し、2002(平成14)年には一般病院として施設が再整備された。現在は外来診療とともに療養型病棟およびホスピス病棟を備えた病院として、一般財団法人神山復生会によって運営されている。2016年12月現在、ハンセン病回復者5名が在院している。
2004(平成16)年、復生病院開設以来の歴史を伝える「復生記念館」が、1897(明治30)年に建設された司祭館を整備して開設された(2006年、国の登録有形文化財に指定)。2014年より記念館の修復工事が行われ、2016年11月、リニューアルオープンされた。
パリ外国宣教会のジェルマン・レジェ・テストウィド神父によって現在の地に開設。
司祭館がつくられる(現記念館)。
財団法人神山復生病院設立。
岩下壮一神父が第6代院長に就任、病院改善の5カ年計画をたて、各種施設を整備する。
司祭館を事務本館として使われ始める。
ハンセン病療養所から一般病院として新たに発足。
事務本館(旧司祭館)に復生記念館が開設される。
復生記念館リニューアルオープン。
神山復生病院・復生記念館
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