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People / ハンセン病に向き合う人びと

佐藤 健太(ハンセン病文学読書会 主宰者)

療養所内で紡がれた小説の数々には、入所者たちの「生の証し」が刻みこまれている。
歴史の中に埋もれていた作品を読みあい、意見を交わす場を主宰する編集者・佐藤健太さんに、
療養所の創作活動の舞台裏や、ハンセン病文学を読み継ぐ意義についてお話をうかがいました。

Profile

佐藤 健太氏
(さとう けんた)

1974年生まれ。大学1年生のときに佐藤真監督のドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』を観て水俣病問題と関わるようになり、病と社会の関係に興味をもつ。大学院で群馬県の草津温泉にあったハンセン病者の集落「湯之沢部落」の研究に取り組む。大学院修了後、皓星社に入社し、ハンセン病に関する書籍を数点担当。現在、フリーで出版の営業や編集をするかたわら、東京と静岡を拠点に「ハンセン病文学読書会」を主宰している。共編著に『ハンセン病文学読書会のすすめ』(2015、非売品)、共著に『ハンセン病 日本と世界』(工作舎、2016)がある。「ハンセン病文学読書会」にご興味のある方は下記のメールアドレスにご連絡ください。
sbenzo.jokyouju■gmail.com(連絡先:佐藤健太)※■を@に変換してください

「文芸特集号」への注目
ハンセン病文学の魅力に気づく

昨年(2015年)、佐藤さんが国立駿河療養所で主宰しているハンセン病文学読書会に
参加させていただきました。世代の違う方々が、読んだ文学作品について自由に発言され
ていたのが印象的でした。

ハンセン病の患者や回復者の方が創作した作品には面白いものがたくさんありますが、文学として優れていないものもあります。読んでみて魅力を感じない作品だったときに、読書会のメンバーは当初、否定的な意見をいうことにためらいがちでした。隔離政策の被害者自身が書いた小説に対して、マイナスの評価を下してよいのだろうかと。

しかし、それだと作品の読解が制限されてしまい活発なディスカッションも起きません。読書会でとりあげる作品の書き手たちは、自分たちの作品を「ハンセン病文学」というくくりから離れて、ひとつの文学作品として読まれることをのぞんでいたと思われます。それをふまえると彼らの作品を手放しで貴いものとして読むよりも、好きなように読んで正直な感想をもつ方がいい、つまらないものはつまらないと言ってもいいという場にしたかったのです。

そうしたところ参加者の間で正反対の評価があったり、私が読み落としていた箇所に注目する意見が出てきたりするようになりました。それを参加者全員で共有することでより深く立体的に作品を理解することにつながっていく。だから、議論がおきやすいように、取り上げているテーマは面白いけど文学としては成功していないと思われる小説を意識して選ぶこともあります。

註)当サイト「ピープル」の駿河療養所 フィールドワークとハンセン病文学読書会で紹介されている。

佐藤さんがハンセン病文学に魅かれたきっかけは何だったんでしょうか。

  • 機関紙『多磨』文芸特集号

5~6年前、駿河療養所の入所者自治会の資料の中に全患協(現在の全国ハンセン病療養所入所者協議会)の会長だった小泉孝之さんが発行人をつとめた文芸同人誌『山椒』を見つけました。少し気になって読んでいたら、ある疑問にいきあたった。『山椒』創刊号の発行は1964年なのですが、創作活動の母体となっている〈駿河創作会〉の設立は1950年頃。その空白の10数年の間、いったい彼らはどこで作品を発表していたのか。もしかしたらと思い、戦後発行された各園の機関誌(『高原』『山櫻』『愛生』『菊池野』など)の「文芸特集号」をしらみつぶしに調べていったところ、〈駿河創作会〉のメンバーがこれら他園の機関誌に投稿していることがわかりました。

「文芸特集号」というのは各療養所の機関誌で定期的に行われていた文芸作品のコンペティションです。それぞれの機関誌編集部が独自におこなっていたもので、俳句、川柳、短歌、詩、随筆、評論、小説などの分野があり、外部の詩人、歌人、評論家、作家などが選者をつとめていました。全国のハンセン病療養所に対して応募が呼びかけられ、多くの入園者が作品を寄せていました。そのなかから選ばれた優秀作が「文芸特集号」で発表されるのです。応募締め切りの半年ぐらい前には全国の療養所に告知されていたようです。
駿河創作会のメンバーは1950年代前半から入選作を何本も出していて、文学不毛の地だと思っていた駿河のイメージがひっくり返りました。そういった事情を知るにつれて調べるのがだんだん面白くなり、ハンセン病文学の研究に進むようになりました。

入選作を決める選者にはどんなひとがいたのですか。

  • 作家・野間宏と英文学者・中野好夫による選評。

選者は機関誌ごとにさまざまで、療養所のある県の新聞記者や文芸サークルの主宰者であったり、安部公房、阿部知二、川端康成、椎名麟三、野間宏などといった著名な作家が担当することもありました。「文芸特集号」には選者による選評も載っているのですが、読んでみるとけっこう手きびしい。その選評を受けて作品を書きなおしたり、次の作品に生かしたりしていたようです。また選者によって好みの作風があります。そのため選者に好まれるような作品を意識的にせよ無意識にせよ書いてしまうという問題もありました。作家の島比呂志さんは「それは純粋な創作ではない」と考え、機関誌に投稿するのをやめて自ら同人誌『火山地帯』を発行するようになります。

なかには作品の冒頭や結末を少しだけ変えて複数の「文芸特集号」に投稿するようなひともいました。入選作に出される賞金を目当てにしていたひともいますし、複数の選者にどう評価されるか知りたかったという面もあるようです。調べていたら、小泉孝之さんは「一人につき一作」という応募規定の網の目をくぐるかたちで、複数のペンネームをつかって何本も投稿していることがわかってきました。それを知ったときは、元全患協の会長がなにをしているのかと苦笑しましたよ(笑)。

ペンネームを使う理由は、差別や偏見を怖れて本名を隠しているだけではないんですね。

もちろん本名を隠すためにさまざまなペンネームを使い分けているひともいました。ですが、すべての複数ペンネーム使用の理由を差別や偏見を恐れていたからと考えるのは早計だと思います。ただ、ペンネームに関しては実のところまだよくわかっていないことが多いのです。療養所へ入った時に園名を名乗ることになったひともいれば、本名のままだったひともいます。私が交流しているひとが名乗っている名前が、はたして本名なのか園名なのか、当人が教えてくれないかぎりわかりません。そのうえペンネームをいくつも使用しているケースもあります。名前はプライバシーに関わることもあり、今までに基本的な調査がされてこなかった。だから、小説の書き手について、いざ調べようと思うと誰が誰なのか特定するのがたいへん難しい。むかしのことをよく知る当事者も近年どんどん減っているので、10年も経ったら特定するのはもっと難しくなるでしょうね。

ハンセン病にのめり込んだ学生時代、
多くの出逢いを重ねていく

佐藤さんがハンセン病を研究することになった、そもそものきっかけはなんだったんで
しょうか。

  • 佐藤さんのハンセン病関連の蔵書の一部。

大学生のときに池田勇次先生の『怨嗟する円空』(牧野出版、1994)を読んだことがきっかけです。円空仏が好きで各地のお寺やお堂に見に行っていたのですが、その本には円空はハンセン病にかかっていて、自身の病の治癒を祈って仏を彫ったのではないかという新説が書かれていました。もともと水俣病問題に関心があり、病と社会との関係には関心を持っていたので、円空よりハンセン病にのめり込んでいきました。古本屋でアルバイトをしていたのですが、店に入荷するハンセン病関係の本は全部買っていましたよ。大学も終わりに近づくなかで、もう少しハンセン病のことが研究したいと思うようになり大学院に進学しました。

大学院では明治20年に成立した湯之沢部落(草津温泉街にできたハンセン病者による集落)について研究することにしました。栗生楽泉園には足繁く通い、湯之沢部落に住んでいた入園者の聞き書きをまとめた加藤三郎さん、白系ロシア人の末裔で詩人のコンスタンチン・トロチェフさんらと知り合いました。草津以外では、その頃らい予防法違憲国家賠償訴訟の真っ最中だったので裁判の傍聴に行ったり、多磨全生園のハンセン病図書館に通って、山下道輔さんに教わりながら資料を漁っていました。そうした調査などの過程で回復者や関係者の方との交友関係は広がりましたね。大学院修了後は、たまたま紹介してくださるひとがいて、皓星社(ハンセン病書籍を数多く取り扱っている出版社)に入社しました。

今までにたくさんの回復者の方に会われたと思いますが、その中でもとくに印象深いひとはいましたか。

皓星社時代に会った「ケンちゃん」はひときわ強烈な人物でしたね。多磨全生園の食堂のなごみにまるで主のように居座っていた方で、会うと必ずお酒を飲まされる。いろいろ昔話をしてくれるのですが、具体的な経歴はわからないように話されていたと思います。ぼくのことを気に入ってくれたのか、彼の行きつけのお店へ一緒に飲みに出かけたり、知人への贈り物の買い物を頼まれたり、ずいぶんかわいがってもらいました。
お酒を飲んで酔ってくると「紀伊國屋書店の社長と飲み仲間だった」とか、「落語家に台本を提供している」とか、こちらの予想外のことを語りだす。どこまで本当なのかわからず話半分に聞いていたのですが、一緒に新宿の飲み屋に行ったときに「ひさしぶりに棟梁が来た」と大騒ぎになって(飲み屋でのあだ名が「棟梁」でした)、常連さんがどっと集まってきたことがありました。驚きましたね。確かめようがないのですが、彼の話は全部本当だったのかもしれないと思っています。不思議な魅力をもったひとでした。

仕事が忙しくなり療養所への足が遠のいていたころに、亡くなられてしまいました。しばらくの間は実感がわかなくて、なごみ食堂に行けばいつものようにテーブルにいるのではないかと思っていました。1996年の「らい予防法」廃止以降、回復者は「かわいそうな被害者」とみなされがちですが、ケンちゃんのことを思い出すと、「差別」や「偏見」という言葉だけではハンセン病の問題は捉えきれないと強く思わされますね。

ハンセン病への関心を繋いでいく場を
少しずつでも作っていく

回復者の方に直接会ってお話しを聴いたり、著書を読んだりすると、差別や偏見に苦しん
でいたとは思えないほど明るくたくましい方たちが多いと感じます。

  • 静岡県・国立駿河療養所での一枚。佐藤さんは駿河療養所のガイドマップの編集にもたずさわっている。

  • 佐藤さんが主催する読書会の活動をまとめた小冊子『ハンセン病文学読書会のすすめ』。ご希望の方は下記のメールアドレスにご連絡ください。
    sbenzo.jokyouju■gmail.com(連絡先:佐藤健太)※■を@に変換してください

たしかに療養所で隔離と抑圧を強いられ辛い思いをした回復者はたくさんいますが、そこで生活を営み、たくましく生き抜いてきたこともまた事実です。外の生活と同じような喜びと葛藤もそこにはありました。戦後の療養所では、在日コリアンのひとびとへの差別や、労務外出などによって生じる経済格差など、さまざまな問題がありました。断種、堕胎や重監房といった過酷な歴史を見過ごしてはいけません。しかし「国策の被害者」という枠だけでハンセン病者を見てしまうと、療養所で生き抜いたひとびとの多様な生き方を単純化して理解してしまうことになると思うのです。

だからこそハンセン病が抱える複雑な様相を知るために、入園者によって書かれた小説は格好の教材だということですね

そうです。「文芸特集号」を調査していて気づいたのは、入園者の書いた作品は差別や隔離政策下の歴史的な出来事や生活を描いたものが多いですが、その枠から外れるような小説も数多くあったということです。
たとえば栗生楽泉園の名草良作さんが書いた短編小説「梅干しの種」は、重監房内での出来事を描いているのですが、収監された患者がチンチロリン(サイコロ賭博)をやっている。しかも最初は梅干しの種を賭けていたのに、限れられた食事である握り飯を賭けるようになり、命がけの賭博にエスカレートしてしまうというストーリーです。もちろん重監房の不当性を訴えてもいますが、監獄のように厳格に閉ざされた空間で患者たちが賭博行為にのめりこまざるをえない姿がドラマチックに描かれています。この小説を東京ではじめて開いた読書会で取り上げたところ、参加者からの評判がとてもよかった。

当事者が書いた小説には、入園者の複雑な心情やかつての療養所内外の様子が、「創作」であることを利用して描かれていることが多い。だから、小説はフィクションでありながら、さまざま入園者のさまざまな声が刻まれている貴重な歴史資料でもあるのです。

今後、一人ひとりがどのようにハンセン病と向き合っていくべきと思われますか。

ハンセン病問題にはじめて触れたひとは大きな衝撃を受けます。ですがその後、継続的に関わるのはなかなか難しいように思います。裁判の後、熱心に療養所へ通っていたひとが、いつの間にか離れていってしまうのを何度も見てきました。それぞれ事情があるとは思いますが、複雑な気持ちになります。関わりを保ちながら学びつづけていくことが大切なのではないでしょうか。
ただそのためには、関心を抱くひとたちとハンセン病問題を繋ぐための仕組みが必要だと思います。当事者による語り部活動がこれからますます困難になっていく中で、その仕組みの一つが読書会です。事前の準備がただ作品を読んでくるだけというのは気軽で続けやすいのではないかと思います。

佐藤さんは今後どんな活動を考えているのですか。

  • 豊島区中央図書館でハンセン病書籍の展示をする佐藤さん。

今まで研究や調査をしたことをふまえて、ハンセン病問題やハンセン病文学の魅力を次の世代に伝えていく活動ができればと思っています。読書会以外にも、5月28日から6月19日まで豊島区立中央図書館で開催されている「ハンセン病と文学に関する展示」に協力させていただいています。ささやかな展示企画ですが、図書館で所蔵しているハンセン病関連図書を利用者が手に取るきっかけになればいい。また6月19日からひと月の間、紀伊國屋書店新宿南店でハンセン病関連書籍のブックフェアを開催予定で、こちらにも協力させていただいています。関心をお持ちの方はぜひ足をお運びいただきたいです。自分にできることは限られていますが、小さなことを少しずつでもいいから継続してやっていきたいですね。

取材・編集:寺平賢司 / 写真:長津孝輔