ハンセン病にまつわる歴史を保存し、学び、伝えていくために、いましなければならないことは何か。人類遺産世界会議2日は、国家機関にたずさわる関係者や当事者からの発表、療養所で暮らす人たちが残した文芸作品やアートの紹介とともに、地域ごとのネットワークを築いていくことの重要性などが話し合われました。
会場を日本財団2階大会議室に移しておこなわれたセッションは前日に引き続き「保存する・学ぶ・伝える〜主たるプレイヤーは誰か」をテーマにスタート。前半は国家機関にたずさわる関係者がパネリストとして登壇しました。マリオ・シルベロ・バクイロッド氏はフィリピンにおけるスペイン統治、アメリカ統治時代の歴史、20世紀初頭から約半世紀続いたクリオン島での隔離政策、ハンセン病制圧に至った経緯などを述べ、ヒョンチョル・パーク氏も韓国ソロクド(小鹿島)で進みつつある新博物館、ソナム資料館の建築展示プランなどを紹介。中国やマレーシアでも文化遺産、歴史遺産としての保存への動きが高まっている現状が紹介される一方で、歴史遺産登録にまつわる問題、課題などについても話しあわれました。セッション前半の最後には笹川記念保健協力財団顧問・山口和子氏が登壇、ハワイ州モロカイ島にあるカウラパパ療養所の現状と将来構想についてコメントしました。
写真左上:マリオ・シルベロ・バクイロッド氏は約半世紀続いたクリオン島の歴史と資料館について紹介
写真右上:ソロクド(小鹿島)に建設予定のミュージアム、予定されている展示プランなどについて語るヒョンチョル・パーク氏
写真左下:国立コントロールセンターの歴史保存と世界遺産登録への課題について語ったザイナ・ビンティ・イブラヒム氏
写真右下:ハワイ・モロカイ島のカウラパパ療養所と歴史保存の意義について語る笹川記念保健協力財団顧問・山口和子氏
セッションⅡの後半はフィリピン、マレーシア、コロンビアの当事者が各国におけるハンセン病の歴史、現在進みつつある資料館、博物館の設立、文化遺産登録への動きなどを紹介。マレーシアのジョイス・ワン氏は世界第2の規模をもつマレーシアのスンゲイ・ブロー療養所の現状と2015年からおこなわれているヘリテージ・ツアー「Valley of Hope」について発表し、「療養所の敷地全体をオープンミュージアムととらえ、語り部も回復者の第2世代、第3世代が務めている。こうした活動を通じて人権教育、若者への啓発活動をおこなっていきたい」とコメント。続いて登壇したイサベル・クリスティーナ・ヒメネス・ロサーダ氏は政府の関心が低く活動が思うように進んでいないこと、私腹を肥やすための組織ではないかと誤解されることもあることなど、直面している厳しい現実についても言及しました。
セッションの最後にはモデレーターを務めるベンジャミン・メイヤー・フォルケス氏から各パネリストへの質問があり、それに対する返答と参加者全員によるディスカッションも実施。人類にとってハンセン病の歴史がなぜ大切なのか、医療の枠組みを超え持続可能な取り組みとしていくためにはなにが必要かなど、さまざまな角度から議論がおこなわれました。
写真左上:第二世代、第三世代にあたる若者が語り部を務めるヘリテージ・ツアーを紹介したジョイス・ワン氏
写真右上:イサベル・クリスティーナ・ヒメネス・ロサーダ氏は現在コロンビアで進みつつある歴史保存への取り組みついても語った
写真左下:各パネリストへ質問し、参加者に議論への参加を呼びかけるベンジャミン・メイヤー・フォルケス氏
写真右下:ディスカッションでは医療の枠組みを超えて人びとへ訴えかけるにはどうしたらいいか、啓発活動の重要性などについても議論がおこなわれた
29日午後のセッションは世界各地で患者、回復者たちがつくり出したさまざまな作品の紹介がおこなわれました。最初に登壇したジョン・マントン氏はナイジェリア・ウズアコリのコロニーで暮らした作曲家、イコーリー・ハーコート・ホワイト(1903-1977)がつくった賛美歌を音声ファイルを再生しながら紹介。ILAの情報ウェブサイトにマントン氏が出演したラジオドキュメンタリーへのリンクがあること、現在も300曲ほどの賛美歌が残っていることなどを語りました。
続いてコロンビア、ブラジルなど南米における事例が紹介され、小説家、詩人、画家、音楽家、政治家など、さまざまな職業の人たちが療養所に収容されたこと、そのなかで彼らが残した作品などが画像とともにプレゼンテーションされました。マリア・レイデ・ワンド・デル・レイ・デ・オリベイラ氏(ブラジル)は、「コロニーで生まれた子どもの多くが親から引き離され、生き別れとなりました。その親探しも大きな課題となっています」と述べ、ブラジル国内ではNPO団体MORHANが中心となって親探しプロジェクトが進んでいることについても言及しました。
セッション最後に登壇した田村朋久氏は1996年まで異例の長期にわたった日本の隔離政策に触れ、「日本の療養所内では文芸、美術、写真、陶芸、音楽など、さまざまな文化が育まれましたが、こうしたものは隔離政策によって生まれた文化です。作品は彼らにとってみずからのよりどころであり、慰め、社会との接点、そして生きた証でもあったのです」と、多種多様な芸術活動がおこなわれた背景について紹介。長島愛生園歴史館での展示や啓発活動、芸術作品や文芸作品のよりよい活かし方、現味進められつつある瀬戸内三園による世界遺産登録を目指す構想などについても語りました。
写真左上:ナイジェリアのコロニーで作曲された賛美歌やハーコート・ホワイトの業績について語るジョン・マントン氏
写真右上:南米で療養所に収容されたアーティストのプロフィール、作品なども多数紹介された
写真左下:長島愛生園歴史館の田村朋久氏は療養所内で生まれた多種多様な芸術活動について紹介
写真右下:「啓発活動のためには若者や学生との交流が重要だと思う」と語った回復者の森元美代治さん
「未来への遺産〜実現の途をさぐる」と題したこのセッションではエクアドル、フィリピン、スペインのパネリストが登壇し、南米〜カリブ海、アジア、ヨーロッパなど地域ごとのネットワークを形成していく重要性について議論されました。どのエリアにも共通しているのは、貴重な建造物などをはじめとする文化歴史遺産、医学的資料が急速に失われつつあること。こうした現実をふまえアルトゥロ・クナナンJr.氏は「各国だけでなく、近隣地域ごとの情報、資料、資金の共有、共通理解を深めることが重要だ」と語り、ネットワークづくりの重要性について訴えました。
セッション後のディスカッションでは、デジタル・プラットフォーム上で文化的遺産を収集、整理していくことの重要性、一般の人たちに情報を届けていくためにウェブサイトやソーシャルメディアをどう活用すべきかなどについてあらためて議論がおこなわれました。国立ハンセン病資料館の学芸部長、黒尾和久氏も「日本国内では13ある国立療養所を歴史遺産として永久保存しようという構想があるが、そのためには国内療養所のネットワークをつくり、より活発な協議を進めていく必要がある。またハンセン病の歴史を人類全体の遺産として残していくためには『私たちはなぜ、ハンセン病患者や回復者を差別し、排除してきたのか?』という当事者以外からの視点をもつことも重要になってくるのではないか」と発言。これを受けて国内、地域、世界におけるネットワークの重要性、啓発活動はどうあるべきかなどについて、あらためて活発なディスカッションがおこなわれました。
写真左上:文化人類学者の立場から歴史保存の意義、背後にひそむ哲学などについて語ったヒルダ・ベアトリス・ミランダ・ガラルザ氏
写真右上:アジア地域のネットワークや将来構想について発表したアルトゥロ・クナナン氏
写真左下:ヨーロッパで歴史的建造物が急速になくなりつつある現状、文化遺産や医学的資料保存の重要性について語るペドロ・トレス・ムニョス氏
写真右下:療養所ネットワークの必要性、当事者以外からの視点の重要性などについて語った国立ハンセン病資料館・学芸部長、黒尾和久氏