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【寄稿】“僕は入所者の皆様のファンです”プロボクサーの想い

Topics 2016.7.6

「THINK NOWハンセン病」のロゴマークをトランクスにつけてリングに立つ、プロボクサー・村田和也さんについて日本財団の宇田川貴康さんから寄稿いただきました。以下に全文を掲載いたします。


 

image2村田和也と名乗る男性からメールが届いたその日は1月31日、今年の「世界ハンセン病の日」にあたる日でした。「はじめまして、私は現役のプロボクサーです。ハンセン病に縁があって、挫けずにここまでこられました。トランクスに「THINK NOW ハンセン病」のロゴを入れさせてもらいました。日本財団さんの足を引っ張るようでしたらこのロゴを外そうと思いますが、できればこのまま試合で履きたいです」。用件とともにボクシングト
ランクスの画像が一枚添付されていました。見ると、裾回りには革命家として有名なチェ・ゲバラの顔とI LOVE TIBETの文字、ウエストの真中には日本財団がハンセン病の理解と差別撤廃を目的に実施している「THNIK NOWハンセン病」キャンペーンの青いロゴが縫い付けられていました。もちろん、一人でも多くの方にこのキャンペーンを知っていただけるのは喜ばしいことです。我々は使用を快諾しました。
村田さんは現在、日本ライト級5位のプロボクサーで、昨年8月には東洋太平洋のタイトルマッチにも臨んだことがあるほどの実力者ということがわかりました。いったいどんな人なのだろう、私は彼に会いに兵庫県神戸市に向かいました。
image1待ち合わせ時間より少し早めにJR三ノ宮駅に到着すると、リュックを背負った身長180㎝位の男性が立っていました。もしやと思い話しかけると村田さんでした。服を着ていてもわかる引き締まった体に、手の甲の中指付け根にはボクサー特有のカサブタ。何よりキラキラした優しい眼が印象的でした。聞けば1987年10月19日生まれの28歳、偶然にも私と同い年。日中は造園業のアルバイトをしながら週6日、三ノ宮駅から歩いて約10分の千里馬神戸ジムでトレーニングしているといいます。「家族や親戚にハンセン病の人がおったとかではなくて。今は一方的に縁を感じているだけなんです。人と人との関わりが薄くなりつつある現代にこそ、ハンセン病になって様々な体験をした元患者の方々の優しさ、考え方が必要なのだと思います」と村田さん。リュックからハンセン病関連の書籍(隔離の記憶)や写真アルバム、そしてあの「THINK NOW ハンセン病トランクス」を取り出し、自身の生い立ちや体験を話してくださいました。

--ハンセン病との出会いは?

「19歳の元旦、家庭でのトラブルから家にいづらくなって静岡県の実家を飛び出したんです。気持ちがぐちゃぐちゃになりまして。ヒッチハイクしながら南に向かいました。香川県高松市に辿りついて、野宿しようとお寺に忍び込んだのですが、すぐに追い出されました。仕方なく安宿に宿泊し、翌日はあてもなく歩いていました。その時「お遍路の宿あります」という看板を見つけたんです。これなら野宿しても怪しまれないやろうなと。そのままお遍路を始めました。道中様々な方がお遍路をしていました。亡くなった息子を供養する方、過去に自殺を思いとどまったことのある方…。ある日野宿していた時、ベテランのお遍路さんと一緒になり「昔、ハンセン病という病気を患い、故郷を追い出されてしまった方がお遍路をしていた」という話を聞きました。当時ハンセン病という病気をよく知りませんでしたが、大変な思いをした人がいたんだということを知り、軽い気持ちで参加したお遍路を真剣にやろうとその時に決意したんです。それからというもの不思議といろいろな人が声をかけてくれるようになりましてね。荒んでいた心に優しさが染み込んでいくのがわかりました。そして1カ月間で、八十八すべての霊場を廻り終えることができました」

--お遍路がハンセン病との出会いだったのですね?

image3

「そうなんです。「ハンセン病」について知るきっかけとなったお遍路の旅を終えてから、高校の時に中途半端に辞めてしまったボクシングを再び始めることにしました。神戸でトレーニングを再会し、2007年にプロボクサーになりました。デビュー戦も勝つことができました。ただ、僕は生まれつき「斜頸」という病気をもっていまして、首が傾いているんです。徐々に首が動かなくなり、症状が酷くなりまして、病院にも通いだした頃、試合でKO負けしたんです。大病院では「首は完治しない」「いずれボクシングができなくなる」との診察を言い渡されました。好きなボクシングを辞めることになるかもしれないと、落ち込みました」

--やっと見つけた夢を失いそうになったのですね?

「はい。でもそんな時に友達の薦めで映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観たんです。チェ・ゲバラとの出会いです。彼がハンセン病を学ぶ医学生だったことを初めて知りました。ゲバラの青年時代のフーセルが旅の途中でハンセン病施設を訪ねる場面に感動したんです。それで、ボクシングにもふん切りがつけられるかもしれへんと思い、自分も腐っていないで旅をしようと、4か月間アジアでバックパッカーをしました。タイやラオス、中国にチベットと回っていきました。ストリートチルドレンや政府の迫害を受けて生きている方々を目にし、もっと頑張らなあかん、と帰国しました。帰国後、バイト先の知人の薦めで、神にもすがる思いで行った接骨院で首を見てもらったところ、嬉しいことに奇跡的に首が動くようになったんですよ。それから造園業の仕事に就きトレーニングを再スタートしました。それから6連勝できました。2015年8月には東洋太平洋のタイトルマッチにも出ました。この時もきっかけはハンセン病でした」

--トランクスのチェ・ゲバラの顔写真とチベットの文字はそれが由来ですね。それからは順調に今に至ると・・

「それがその後、悩み事を抱えまして…。これまであんなにいろんな人から優しさをいただいたのに、もうどうしようもならなくなりまして…。そんな苦しい時、ハンセン病とお遍路さんが題材の「蛍の森」と出会い、読みました。いてもたってもいられずその週末、初めて長島愛生園を訪ねたのです。日が暮れるまで歴史館を見て、納骨堂に手を合わせて園を後にしました。その後、試合の応援で上京する機会があり、多磨全生園に行きました。しかしなんと!残念ながら資料館は休館日。でもせっかくなので園内を歩いていました。そこですれ違った女性の入所者の方に挨拶をしたら、園を案内してくれたんです。その方が僕が初めて会ったハンセン病の回復者の方です。自宅にも招いてくださいました。他界された旦那様のこと、壊されていく建物…。どんなに苦しくても前向きなその方の姿に、僕はほんまに心を打たれました。病気になっただけでも悲惨な体験を重ねているというのに、家族には迷惑をかけて申し訳ないとおっしゃるのです。なんて優しい人なんやと思いました。それからハンセン病の関連書籍を読み始め、愛生園の交流会にも参加させていただいています。すっかり入所者の方々のファンになってしまいました」

--家出した後、ボクシングを諦めた時、悩みを抱えどうしようもなかった時。いつもハンセン病がきっかけで立ち直ったのですね?
⑤積極的な試合運びを見せました

「そうです。今まで僕を救ってくださった入所者の方々に、何かお返しができないかなと思っていて・・・せめて周りの人たちにハンセン病のことをもっと知ってほしいと、ボクシングトランクスにロゴを縫い付けさせていただきました。2016年4月17日(日)、神戸市の神戸芸術センターで開催される復帰戦に出ます。このトランクスをはいて、頑張ります」

--ハンセン病を知らない若い人に向けて伝えたいことはありますか?

「次の差別が起こらないように。ハンセン病を知りましょう、そして考えましょう。周りの言っていることに流されるのではなくて、違うと思ったら『それ違うんちゃう?』ときっちり言えるようになりましょう」

--最後に、入所者の方に伝えたいことを…

「皆様のおかげで本当に辛い時を乗り越えることができました。その優しさと前向きさに触れて、僕も人に優しくできるようになりました。今は毎日を頑張れています。一緒に療養所に行ってくれる友人もできました。本当にありがとうございます。僕は皆様のファンです」

⑥勝利後、応援団に応える村田さんそして、村田さんは4月17日、東洋太平洋タイトルマッチに敗れて以来およそ8ヶ月ぶりとなる復帰戦に臨みました。ジムの関係者をはじめお遍路やバックパッカーをしていた時に知りあったというご友人、そしてハンセン病回復者の方々も応援に駆けつけ、会場となった神戸芸術センターは立ち見が出るほどの満員。「THNIK NOWハンセン病」トランクスを身につけた村田さんが登場すると、一際大きな声援が会場内に響きました。試合開始のゴング。1回にダウンをとられるも、その後は試合を有利に運び、結果は3-0の判定勝利。リング上でマイクを握った村田さんは「応援してくださった方は、様々な人生を乗り越えてここに来ています。負けるわけにはいきません!」と総立ちでエールを送る観客に応えました。