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Update 2016.9.1
東西冷戦の緊張が高まり、ベトナム戦争が泥沼化しつつあった1960年代。
日本でも、制度や社会の矛盾に反発する学生たちが、激しい運動や闘争にのめりこんでいた。
その一方、ハンセン病療養所に隔離されたまま世間から忘れられている人々と
積極的にかかわりをもち、回復者たちが気兼ねなく使える宿泊施設「交流(むすび)の家」を手作りで開設した若者たちがいた。
「交流の家」は、いまも奈良市郊外で、当時の建物そのままに、回復者やハンセン病の問題を通して出会った人たちがむすびあう場所として、またアジアのハンセン病回復村のワークキャンプ活動を支える根拠地として営まれている。
学生時代にその設立にかかわり、以降も運営に深く携わってきた、
湯浅進さんと矢部顕さんに、「交流の家」の成り立ちについて話をうかがった。