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Topics 2019.6.5
日本財団は、一人でも多くの人がハンセン病への理解を深め、偏見や差別について考える機会をつくるための運動「THINK NOW ハンセン病」を行っています。キャンペーンは、ハンセン病についての正しい理解を促進し、企画者・参加者が共に学びの機会を得られる活動であればロゴを使用するだけで、どなたでも参加できます。
今回は、西南学院大学 吉田知可さんの活動をご紹介します。
西南学院大学 吉田知可
FIWC九州は、国内外でワークキャンプを行う学生団体です。日本での活動としては、農業キャンプとして大分県耶馬溪町の耕作放棄地を使って地元の方々の協力のもと、米作りを行なっています。他にも、日本のハンセン病療養所を訪問するなど、様々な活動を行なっています。
海外での活動としては、現在3カ国(中国、フィリピン、ネパール)でワークキャンプを行なっています。フィリピンとネパールでは、現地のエンジニアや村人と共に、インフラ整備を行なっています。中国では、中国のNGO団体「家-Joy In Action(JIA)」の学生と協力して、中国にあるハンセン病快復村(※)を訪問しています。
※ハンセン病回復者とその家族の住む隔離村。JIAメンバー間では、人権回復する前から尊厳を持って生きてきた回復者に対し、「回復」の代わりに、単に病気が治ったという意味の「快復」を使っている。
今回は、私がハンセン病と出会い、変わったことについてお話ししたいと思います。
文章の中には、ハンセン病快復者に対する「差別」と捉えられるような言葉があるかもしれませんが、最後まで読んでいただけると幸いです。
私は大学1年生の春に『FIWC九州』という団体に出会い、これまで3度FlWC九州の中国でのワークキャンプに参加してきました。
私が1番最初に参加したのは、1年生のサマーキャンプでした。キャンプに応募するまで私は、『ハンセン病』という言葉を聞いたことがある程度で、ハンセン病についての知識はほとんどありませんでした。
そんな私が中国でのワークキャンプを選んだ理由は、これまで身体障害を持っている方に対して、少なからず「怖い」などのマイナスイメージを持っていたからです。そんな気持ちを持っている自分が嫌で、キャンプに参加することでそんな自分を変えられるかもしれないという気持ちで参加を決意しました。
ハンセン病についての知識がほとんどなかった私は、キャンプに行くまでにハンセン病の歴史や発症原因について勉強をしました。
そして私は中国でのワークキャンプに参加する前に、熊本県にある『国立療養所 菊池恵楓園』を訪問しました。私はそこで初めて、ハンセン病快復者の方とお会いしました。ネットや本でハンセン病について調べている時に、「ハンセン病快復者の中には後遺症で身体の変形がある」と書いてあったため、正直お会いするまで自分が障害を受け入れることができるのかとても不安でした。しかし実際に快復者の方とお会いすると、目に見える身体障害はなく、自分のイメージしていた方とは違いました。お話ししていても、とても明るく気さくな方でした。しかし最後に、快復者の方とハグをしてお別れをするときに、私はハグをする事に抵抗感を持ってしまいました。恵楓園を訪問する前に、ハンセン病は感染力がとても弱い病気であり、自分がお会いしている方は「ハンセン病快復者」であることを勉強していたはずなのに。
その日の帰り道、そんな気持ちを持った自分が恥ずかしく、とても後悔しました。
それからの2ヶ月後、私は中国に飛び立ちました。
中国の村を訪問すると、村人は初めて来る私たちを笑顔で歓迎してくれました。私は、そんな村や村人の雰囲気に驚きました。なぜなら、過去に差別や隔離をされていたということから、私は勝手に村人は暗く静かな生活を送っているのだと思っていたからです。
村での毎日は、とても穏やかで楽しい毎日でした。私は毎日村人のところに行き、お互い言葉はわからないけれど、一緒にテレビを観たり、お菓子を食べたりしました。村人が笑えば私も笑い、私が笑えば村人も笑顔になる。日を重ねるごとに、村人と言葉ではなく、心で繋がっているような気がしました。
そんな日々を過ごすの中で、私は村人たちがハンセン病快復者である事を忘れていました。それと同時に、最初は村人のハンセン病の後遺症である身体の変形や障害につい目がいっていましたが、そんな事は全く気にならなくなっていました。それよりも、あの村人は笑顔が素敵だとか、村人の素敵なところをたくさん見つけていました。
私は村人たちとの出会いで、人間としてとても大切な事を学びました。
それは、人をハンセン病快復者だとか、障害者だとか、外国人だとか、そんな大きな括りだけで人を判断すべきではないということです。
一括りに相手を見るのではなく、相手と1人の人間として向き合うことで、初めてその人の良さを見つけることができると気づいたからです。
村人と出会う前の私は、身体障害者やハンセン病快復者に対して少なからず偏見があったと思います。
しかし私は村人と出会い同じ時間を過ごしたことで、「ハンセン病快復者」として村人を見ていた自分が、いつのまにか村人を「〇〇おじいちゃん、〇〇おばあいちゃん」と、「ハンセン快復者」という言葉が消え、相手を1人の人として向き合うようになっていました。その結果、私は障害を持っていることやハンセン病快復者だという事が全く気にならなくなったのではないかと思います。
そんな当たり前だけれど大切なことに気づかせてくれた村人に、私はとても感謝しています。
私は帰国してから、再び「国立療養所 菊池恵楓園」を訪れました。
すると前回訪れた時に抵抗があったハグも、全く抵抗がありませんでした。
それどころか、快復者の方とはとても仲良くなることができました。
それはきっと、中国の村人から学んだ「相手を1人の人間としてみる」ということが自然とできるようになったからだと思います。
私は今でも恵楓園を訪れています。
今では私の名前も覚えてくれて、最近あったことや健康、恋愛の話までします。まるで、自分の祖父母のような存在です。
そして中国の村にも、通い続けています。
村に行くと、笑顔とハグで迎え入れてくれます。
未だに村人の言葉はわかりませんが、今ではなぜか村人が伝えたいことがわかってしまいます。村人も、私が伝えたい事をなぜかわかってくれます。お腹いっぱいだと言っても、お菓子やご飯をたくさん食べさせてくれます。村は、たくさんの人の温かさと愛に包まれているところです。
私はこれからも、中国の村や恵楓園に通い続けたいと思います。
そして、少しでもお世話になった村人たちに恩返しをしていきたいです。
また私は、ハンセン病快復者との出会いを通して世の中にある差別や偏見問題について深く考えるようになりました。
今回、この文章を書くにあたり自分の心にあった差別や偏見の気持ちの変化を書いたのは、この文章を読んでくださっている方の中にも、もしかしたら私が以前抱いていた気持ちを持っている方がいると思ったからです。
世の中に存在する差別や偏見の解消のために私に出来ることがあれば、少しでも力になりたいです。
それも1つの私ができる村人たちへの恩返しだと思うからです。
拙い文章でしたが、少しでも何かを感じていただけたら幸いです。