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Topics 2019.6.5
日本財団は、一人でも多くの人がハンセン病への理解を深め、偏見や差別について考える機会をつくるための運動「THINK NOW ハンセン病」を行っています。キャンペーンは、ハンセン病についての正しい理解を促進し、企画者・参加者が共に学びの機会を得られる活動であればロゴを使用するだけで、どなたでも参加できます。
今回は、西南学院大学 樋口歩美さんの活動をご紹介します。
西南学院大学 樋口歩美
先輩に誘ってもらった、たったそれだけの理由でチャイナキャンプに参加することを決めた。
自分にとって初海外、初ワークキャンプとなった今回のキャンプ。どのキャンプに行くか、すごく悩んだ。結果としてチャイナキャンプを選んで、本当によかったと思う。いつも「村人」が主語の温かいチャイナキャンプ。周りの優しさにたくさん助けられ、人の温かさにたくさん触れた一週間だった。大切な人がたくさんできた。自分よりも他の人のことを優先して考えた時間だった。キャンパーみんなが自分以外の誰かのことを考え、行動していた。正直、自分が村人に何をしてあげられたかというのは全然わからないが、むしろ毎日、自分が元気づけられ、勇気をもらい、笑顔にしてもらっていたと思う。
キャンプ前ミーティングなどで、以前、チャイナキャンプに参加していた先輩たちから、本当にたくさんの話を聞いていたため、楽しいのだろうな、私も先輩たちみたいに村人と仲良くなれたらいいな、そんなわくわくした気持ちばかりだった。もちろんハンセン病についてキャンパーが各自で調べて発表する機会はあり、「ハンセン病」という言葉自体はずっと自分のそばにあったけれど、自分の感覚としては海外に友達(?)を作りに行く、という感じが強かった気がする。あまり「ハンセン病」とか「ハンセン病快復者(※)」ということは考えていなかったと思う。
※中国のハンセン病支援団体「家-Joy In Action(JIA)」のメンバー間では、人権回復する前から尊厳を持って生きてきた回復者に対し、「回復」の代わりに、単に病気が治ったという意味の「快復」を使っている。
実際に村に着いて、車から降りたとき、村人は手を振って笑顔で私たちを迎えてくれた。驚いた。JIAが何度もテンチャオ村でワークキャンプを行っていることは知っていたし、10年ほど前に日本の別の学生団体が来ていたことも知っていたけれど、それでも初対面の私を笑顔で迎えてくれて、すごく嬉しかったし、安心した。確かに、話に聞いていたとおり、指がない、足がないおじいちゃん、おばあちゃんがいて、目に見えるハンセン病の跡は探そうと思わなくても自然と目に入ってきたけれど、それでも怖い、といった感情はなくて、どうやったら仲良くなれるかな、そればかり考えていた。
広東語を話せるJIAの学生と毎日、村人の家を訪問した。どの村人も笑顔で迎えてくれて、お菓子をくれたりして、一緒に食べたりしながら、いろんな話をした。前に来ていた日本人の学生の話を懐かしそうにしてくれる村人もいれば、彼氏はいるのか、など恋愛の話で仲良くなった村人もいた。うまく質問ができなくて、村人に聞かれたことに答えることばかりだったけれど、思っていた以上に、すぐに仲良くなることができて嬉しかった。それ以外にも村人の家に行くことで、あ、このおじいちゃんは、すごくきれい好きなんだなといった、それぞれの村人の性格も知ることができた。
特に仲良くなった村人が二人いた。一人はジュウバというおじいちゃん、もう一人はラオポポというおばあちゃん。私の名前は「歩美」で、中国語読みをすると「プーメイ」。発音だけで言うと、not beautifulって意味になってしまうらしく(笑)、それを不憫に思ったジュウバが「メイメイ」というニックネームをつけてくれた。かわいいニックネームで、なにより会いに行ったときに「メイメイ!」って呼んでくれるのが、もう本当に嬉しかった。ラオポポは、毎日会いに行くと必ず手を握ってお話をした。お互い言語が違うので、もちろん何を言ってるかわからないときもあったけれど、それでも何度も話が成立して、広東語と日本語でよくやりとりしていた。ラオポポの膝の上で少し居眠りをしたこともあった(笑)。私がちょっとしたことで泣いてしまったとき「メイメイは泣き顔よりも笑顔の方が似合うよ。」と慰めてくれて、抱きしめてくれた。「また帰っておいでね。それまで長生きするから。」とも言ってくれた。いつも私が可愛がってもらってばかりで笑顔にしてもらい、元気をもらって、何かをもらってばかりだったけれど、ラオポポが本当にそう思ってくれているのが言葉だけではなく、ラオポポの全部から伝わって、胸がいっぱいになった。
訪問する前は、ハンセン病快復村に行くのだから村人にハンセン病になってから思ったことを聞けたらいいなと少し思っていたけれど、テンチャオは、すごく明るい雰囲気で、そのことを聞くタイミングもなかった。、村人と交流する中で、私のこの知りたい、聞きたいという思いは、ただの野次馬根性と一緒で、村人が話したくないかもしれないことを聞くことは、すごく自分勝手なことじゃないかなと思うと聞けなかった。結局、一度も聞かなかった。聞かなかったからこそ、今思うのは、彼らに出会うまで「ハンセン病快復者」の肩書きを無意識に自分が村人に付けていたかもしれなかったけれど、私が出会ったのはただ「ハンセン病快復村」にいるだけの、本当に心の優しい、温かい村人たちで、一人ひとりの人間なのだ、ということ。だから、悲しい過去を背負っているのに、差別や偏見の目を向けられてきたと思うのに、といったことを自分の想像で書きたくない。
村で過ごした時間はたったの一週間だった。でも短くて長い、濃い一週間で、大切な人がたくさんできて、自分にとって大きな一週間だった。自分たちが行ったことが村人に何かプラスになるものがあるかどうかわからないが、自分にとって帰りたい場所で、また会いたい、そう本気で心の底から思える人たちがいる温かいキャンプで、そんな素敵なキャンプに参加できて本当によかった。