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Update 2017.12.6
浜本しのぶさんは、たおやかな関西弁に似合わず、 医者にとめられてもタバコを手離さない反骨精神と、 オーロラを見るために南極に旅行をするほどの冒険心の持ち主。 問わず語りに、幼いころ両親と生き別れになったまま、 姉と二人で愛生園の未感染児童の寮に収容されたという稀有な体験に始まる 恋あり涙ありの波乱万丈な一代記の一端を聞かせてくださいました。
Update 2017.11.30
全生園の整形外科医長、のちに園長として 数多くの患者と接してきた成田稔館長。 その成田さんに資料館の常設展示を案内していただきました。 「ここの展示には、さまざまな歴史や意味が隠れている。 それを読み解いていくことが大切なんだ」。 社会啓発ということばだけでは、なにも変わらない。 ハンセン病資料館がいま、本当に訴えかけたいこととは。
Update 2017.11.30
「病気と人をいっしょに見てはいけない。病は病、人は人。 このもっとも大切なところを間違え、人としての尊厳を奪った。 ここに日本のらい対策、最大のあやまちがあったと思う」 成田さんのことばには、長らくハンセン病に向き合ってきた 医師としての厳しい自省の念と、 懸命に生き抜いた人たちへの共感、尊敬の念が秘められている。
Topics 2017.11.29
憲法で保障された裁判の原則公開、これが守られず、ハンセン病療養所内などに開設された「特別法廷」、 最高裁判所は昨年4月、「特別法廷」設置について謝罪しました。 また、日本弁護士連合会は今年10月に開かれた第60回人権擁護大会で「司法による人権侵害を防止できなかったことを反省し、 患者や家族の方々に心から謝罪する」との決議案を採択しました。 ハンセン病問題を考える市民の会では、1...
Update 2017.11.28
ハンセン病療養所で文芸に熱中していたひとびとは、現在の私たちが思っている以上にさまざまな媒体へ作品を投稿していた。友園機関誌の文芸特集号はもちろんのこと、新聞、ラジオ、同人誌等、多岐にわたる。作品を書き投稿することは療養生活の無聊をなぐさめただろうし、社会参加の側面も有していたかもしれない。療養所入所前から投稿をくりかえしていた夏野三郎を取り上げる。
Update 2017.11.28
ハンセン病療養所で文芸活動に励んでいたひとびとは、自ら作品を書くだけではなく同時代の文学作品や古典にもよく目を通していた。所内の図書室に並ぶ文芸雑誌、文学全集等は、文芸活動が盛んだった時代の名残りだ。では、これらの書籍はどのようなルートを経て入所者の手元に届いたのだろうか。今回は療養所における書籍流通について取り上げる。
Update 2017.11.28
戦後の愛生園および全国療養所の文芸グループの復興の機運のなかで、作品が一般総合誌に掲載されるなど、輝かしい文壇デビューを果たした宮島俊夫。 「頼二三雄」名による初期作品の特徴や文芸仲間たちによる回想や追悼文から、その知られざる人物像を浮き彫りにする。
Update 2017.11.24
駿河療養所の入所者自治会「駿河会」の会長をつとめる小鹿さん。 口数少なく、物静かなたたずまいから、 ときどきピリッと繰り出されるユーモアに心和まされる。 小鹿さんのまわりには、さまざまな人びとが集い、交流の場が育まれている。 意のままにならない病の辛さを抱えてきた療養所の人びとのために、 いま小鹿さんが感じていること、望んでいることを語っていただきました。
Update 2017.11.24
医薬品、食糧、すべてが欠乏し、希望を失っていた戦後の光明園。 暗いトンネルを抜けたあと、20代の望月さんが打ち込んだのは、 壁新聞と青年団機関誌の発行だった。 その活動の場はやがて光明園自治会、機関誌「楓」へと場所を移していく。 外島保養院から始まる療養所の歴史、19年に及んだ邑久長島大橋架橋運動。 当時の思い出について語っていただきました。