Leprosy Sanatoriums in the World
Leprosy Sanatoriums in the World
ハンセン病はかつて不治の病とされ、隔離以外に有効な感染防止策はないと考えられていました。
ハンセン病患者の重い後遺障がいに対する偏見や差別心も伴って、
世界中の国々や地域に患者を収容し隔離する療養所がつくられてきました。
それらの各国、各地域の療養所には、ハンセン病患者たちが負わされた過酷な宿命を象徴するという意味での
共通点がある一方で、風土や宗教や文化の違いを反映して、それぞれ独自の歴史も抱えています。
世界のハンセン病療養所の成り立ちと現在を知ることで、
人類が長らく抱えてきた病気と差別との闘いの足跡を辿るとともに、
それらを乗り越えていった当事者や関係者の知恵や勇気に触れることができるのです。
笹川記念保健協力財団 元理事 山口 和子
ハンセン病に国境がないように、病む人々は洋の東西を問わず偏見と差別の対象となりました。特にらい菌の発見により感染症と認識され、治療法がなく隔離が唯一の対応策とされた時代、病者は社会から排除され、定着村や療養所などで生きざるを得なかった歴史も各地で共通でした。隔離の痕跡は島や半島、デルタや僻地など排除の思想が歴然とした場所に残されています。しかし、70年前に治療薬が現われたことで状況は大きく変化し、隔離の痕跡は次第に姿を消し、その記憶も失われつつあります。
近年、ハンセン病の歴史は自らの社会と個人の歴史に他ならない。よりよい未来を創るために、失われ行くハンセン病の歴史を保存しようという動きが世界の各地で起こり始めています。危機感に突き動かされた各地の動きをつなぐために、笹川記念保健協力財団は、世界のハンセン病の歴史保存に関わる人々をつなぎ、連携して取り組むために、インターネット上に世界のハンセン病データベース leprosyhistory.org(国際ハンセン病学会との合同企画)を作り、継続的にフォローする体制を整えています。
「世界のハンセン病療養所」と題するこの企画は、主として上記のデータベースから得られる情報をもとに、病療所の歴史と現状、その地で病み、あるいは治療に関わった人々などを取り上げ、それぞれの療養所が模索する将来のあり方をご紹介する試みです。ハンセン病の療養所・村・コロニーなどの総数は世界で1000か所をはるかに超えていますが、ここではその極一部を、限られた資料にもとづいてご紹介いたします。
ハンセン病療養所をめぐる記録と記憶の保存は、世界のどこでも待ったなしの作業であり、しかも世間から注目されることの少ない作業でもあります。世界の各地で努力を続ける人々の上に思いを馳せるとき、ハンセン病の歴史が現代に生きる我々に問いかけるものの深さに気づかされると同時に、「ハンセン病は世界をつなぐ」という命題が現実味を帯びて迫ってきます。
本コーナーの情報は基本的にILA世界のハンセン病データベース ILA Global Project on History of Leprosyで取り上られている
国、施設、人物等の該当箇所に記載された情報・文献に依っています。
海と絶壁に囲まれた隔離の地から国立歴史公園へ
ハワイ・アメリカ合衆国
インド初のハンセン病患者のための救護施設
インド
「神の水」の地に営まれた隔離の療養所
コロンビア
世界のハンセン病対策につながる研究成果を残す
ナイジェリア
独裁政権による新国家構想に組み込まれた施設
ポルトガル
「庭園都市」型のモデル療養所から、未来にむけた「歴史公園」Valley of Hope・希望の谷へ
マレーシア
戦争と分断の歴史に翻弄されたエルサレムの「イエスの救い」の希望
イスラエル
「カーヴィルの奇跡」で世界をリードしたアメリカ本土唯一のハンセン病療養所の100年
アメリカ合衆国
21世紀直前まで、閉じられた歴史を歩んできたロシアと旧ソビエト社会主義連邦のハンセン病政策と療養所
アゼルバイジャン
中央集権体制を背景に生まれたハンセン病防御のための施設
ブラジル
世界のハンセン病の闘いの歴史を担った隔離の島
フィリピン
激動の近現代中国におけるハンセン病対策史と麻風村および泗安医院の変遷
中華人民共和国