Vol.05 2015.3.24
グローバル・アピール2015を終えて
ハンセン病患者と回復者に対する社会的差別の撤廃を世界中に訴えていく「グローバル・アピール」10年目にして、初の日本開催となった1月27日の式典とシンポジウムは、おかげさまで大盛況となりました。本サイト「Leprosy.jp」で配信されたライブ映像をご覧になった方は2000人以上にのぼり、この1月27日前後は、テレビや新聞のニュースで、ハンセン病のことが多く取り上げられました。
今回のグローバル・アピールは、国際看護協会をパートナーとし、日本看護協会をはじめ世界中の看護師協会の賛同も得て宣言を発信しました。またこの機会に、インド、インドネシア、フィリピアン、アメリカ、エチオピアから6人の回復者を日本にお招きしました。もちろん、そのほとんどが日本への訪問は初めてです。日本の回復者も7人出席されました。
グローバル・アピールに集った回復者の皆さんは、それぞれの国がいまも抱えているハンセン病の医療問題や差別問題に向きあい、闘い続けてきた、私にとってはいわば同士です。
27日の式典には、“イスラミックステート”による邦人人質問題への対応に追われる安倍総理が昭恵夫人とともに出席、日本での入所施策がハンセン病への差別や偏見を助長してきたという歴史に触れたうえで、「ハンセン病に対する差別・偏見の解消に取り組んでいく」というスピーチをされました。回復者の皆さんも、日本の首相が、困難な外交問題を抱えるなか、ハンセン病の人権問題にも重きをおいている姿に、強く印象づけられたようでした。
翌28日には、天皇皇后両陛下が、8人の回復者を御所にお招きくださるという特別な出来事もありました。さる1月13日、私が、世界のハンセン病の現状と今回のグローバル・アピールの意義について両陛下にご説明をするという機会があり、このようなことが実現したのです。
両陛下は緊張した面持ちの回復者一人ひとりに対して、肩を寄せ合うようにして、手を握りながらお声をかけられました。これまで過酷な差別を体験してきた彼らにとって、両陛下の包み込むような愛情深さは「夢を見ているようだった」とのこと。その後に行われた記者会見でも、「家族からも手を握ってもらったことがない私に、両陛下は親しく握手をしてくださった。その瞬間に、すべての苦労や苦しみがすっと消えました」(インド・ハンセン病回復者協会ナルサッパ会長)。「ハンセン病と診断されたとき、私は生きた人間として扱われなかった。今日、両陛下にお目にかかって、私は復活しました」(アメリカ、ホセ・ラミレスさん)など、回復者の皆さんが興奮の冷めない様子で、両陛下との謁見のようすや感想を口々に語りました。
日本の皇室は、長きにわたり、ハンセン病に深い理解と関心を寄せてこられました。奈良時代に悲田院、施薬院をつくられた光明皇后をはじめとして、「救らい事業」に熱心に取り組んだ貞明皇后、そのご意志を継いだ高松宮殿下、寛仁親王。今上天皇と皇后もこれまで熱心に全国のハンセン病療養所を訪問し続けてこられました。
じつは私とハンセン病の出会いもまた、皇后陛下のお導きによるものでした。いまから半世紀ほど昔のこと、父の良一が韓国のハンセン病患者用の病院建設に協力し、その完成式典に父とともに出席したことがきっかけで、私はハンセン病との闘いの道を歩むことになったのですが、じつは父にこの話を相談した韓国大使の金山政英さんは、美智子妃殿下(当時)から韓国のハンセン病の痛ましいありさまについて話をお聞きになり、父に会いに来られたのです。
今回のグローバル・アピールを通して、私もまた、近年まで続いたハンセン病回復者の隔離政策という「負」の歴史を持つと同時に、ハンセン病にとりわけ心を砕いてこられた皇室をもつ日本という国から、差別撤廃をアピールしていくことの意義や効果、また「歴史を風化させない」ための活動を広めていくことの重要性を改めて強く感じさせられました。