ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Elimination

THINK NOW ハンセン病 / グローバル・アピール 2015 TOKYO 式典・シンポジウムについて

式典・シンポジウム

THINK NOW ハンセン病 −グローバル・アピール2015− ~ハンセン病患者と回復者に対する社会的差別の撤廃に向けて~

日時
場所
2015年1月27日(火)
ANAインターコンチネンタルホテル

ハンセン病にまつわる差別及びさまざまな問題を世界に訴え、
人々に理解を深めてもらおうと、2006年から始まった「グローバル・アピール」。
節目となる第10回めの今年は、初めて東京で開催されます。
回復者、海外の看護師の皆さんなども参加する式典、シンポジウムなどの様子は、Ustreamでも配信します。

宣言式典とシンポジウムを
Ustreamで配信

「グローバル・アピール2015 TOKYO」の宣言式典およびシンポジウムを、世界中の人々に見ていただくために、Ustreamで日本語版と英語版を同時配信しました。

プログラム

  • 10:30〜

    グローバル・アピール2015宣言式典

    • 映像上映「Leprosy in Our Time」

    • ビデオメッセージ

      潘基文国連事務総長
      ダライ・ラマ法王
    • 主催者挨拶

      笹川陽平日本財団会長
      ジュディス・シャミアン国際看護師協会会長
    • 来賓挨拶

      ラモス・ホルタ元東ティモール大統領
      スリン・ピッスワン元ASEAN事務総長
      安倍昭恵(内閣総理大臣令夫人、社会貢献支援財団会長)
    • グローバル・アピール
      2015宣言

      クリスティ・レーン・イバルダローサ(クリオンハンセン病総合病院看護師、フィリピン)(読み上げ)
      チアゴ・フローレス (ハンセン病NGO“MORHAN”ミナス・ジェライス州コーディネーター、ブラジル)(読み上げ)
      ラモス・ホルタ元東ティモール大統領/スリン・ピッスワン元ASEAN事務総長/
      ジュディス・シャミアン国際看護師協会会長/日本看護協会坂本すが会長/
      森和男全国ハンセン病療養所入所者協議会会長/笹川陽平日本財団会長
  • 11:45〜

    THINK NOW ハンセン病 ビデオメッセージキャンペーン紹介

  • 12:00〜13:00
    昼食
  • 13:00〜18:00

    ハンセン病国際シンポジウム「今、何故ハンセン病問題なのか?」

    • ●シンポジウム趣旨説明

      田南立也 (日本財団常務理事)
    • ●ハンセン病回復者による
       ライフ・ヒストリーの共有

      ①ヴァガヴァタリ・ナルサッパ (ハンセン病回復者協会会長、インド)
      ②山内きみ江 (国立療養所多磨全生園)
  • 13:40〜14:40

    ●パネルディスカッション1 「ハンセン病と医療・看護―あらゆる人に尊厳あるケアを―」

    • ・ファシリテーター:
      喜多悦子( 公益財団法人笹川記念保健協力財団理事長)
    • ・パネリスト:
      ①山口乃生子(埼玉県立大学保健医療福祉学部看護学科講師)
      ②クリスティ・レーン・イバルダローサ( クリオンハンセン病総合病院看護師、フィリピン)
      ③藤澤千栄美(国立療養所多磨全生園看護部長)/木村あつ子(同副看護部長)/石田正子(同看護師)
      ④ディリープ・クマール( インド看護協会会長)
  • 14:40〜15:00
    コーヒーブレイク
  • 15:00〜16:00

    ●パネルディスカッション2 「風化させてはならないハンセン病の歴史」

    • ・ファシリテーター:
      ジョセフィン・ロバートソン( クイーンズランド大学講師、オーストラリア)
    • ・パネリスト:
      ①平沢保冶( 国立ハンセン病資料館運営委員)/
       黒尾和久( 国立ハンセン病資料館学芸部長)
      ②アルトゥロ・クナナン( クリオンハンセン病療養所/総合病院院長、フィリピン)
      ③アルトゥール・クストディオ・モレイラ・デ・ソウサ
       (ハンセン病NGO“MORHAN”ナショナル・コーディネーター、ブラジル)
  • 16:00〜16:20
    コーヒーブレイク
  • 16:20〜17:50

    ●パネルディスカッション3 「「ハンセン病問題の将来―私たちにできることは?―」

    • ・ファシリテーター:
      横田洋三( 公益財団法人 人権教育啓発推進センター理事長)
    • ・パネリスト:
      ①リン・インユー( ハンセン病ワークキャンプNGO“家-JIA-”、中国)
      ②シラタン・セルムリティロング
       (タイ保健省疾病対策部ラー・プラチャ・サマサイ・研究所・公衆衛生テクニカル・オフィサー、タイ)
      ③チアゴ・フローレス (ハンセン病NGO“MORHAN”ミナス・ジェライス州コーディネーター、ブラジル)
      ④森和男( 全国ハンセン病療養所入所者協議会会長)
  • 17:50
    • 閉会の言葉

      紀伊國献三 (公益財団法人笹川記念保健協力財団会長)

登壇者紹介

●グローバル・アピール2015宣言式典

  • ジュディス・シャミアン

    国際看護師協会会長

    RN(正看護師)、PhD、法学博士(名誉博士)、科学博士(名誉博士)、アメリカ看護師学会フェロー。国際看護師協会(ICN)の会長ならびにカナダの在宅地域ケア組織Victorian Order of Nurses(VON)の名誉会長(前会長兼CEO)を務め、カナダ看護師協会(CNA)の元会長でもある。また、現在、トロント大学ローレンス·Sブルームバーグ看護学部の教授であり、さらにカナダ保健省の看護政策局の初代局長を務めた。米国オハイオ州クリーヴランドのケース・ウェスタン・リザーブ大学でPh.D.を、ニューヨーク大学で公衆衛生の修士号を、さらにモントリオールのコンコーディア大学で地域看護学の学士号を取得し、3つの名誉博士号に加えて、女性エグゼクティブネットワークによる「カナダで最もパワフルな女性100名」賞など多数の受賞歴がある。シャミアン博士は、看護師ならびに看護が果たす役割、そして世界の保健に及ぼす影響の有力な提唱者である。博士は、世界的な保健の充実には、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジや、非感染性疾患等の世界的アジェンダの策定と実行の際に市民社会が参加し専門家の意見を反映させることが不可欠であると提唱している。

  • 坂本 すが

    日本看護協会会長

    <出身地> 和歌山県
    <学歴>1971年 3月 和歌山県立高等看護学院 看護学部 卒業
        1972年 3月 和歌山県立高等看護学院保健助産学部 卒業
        1993年 3月 日本看護協会看護研修学校管理コース 修了
        1996年 3月 青山学院大学 経営学部経営学科卒業
        2004年 3月 埼玉大学大学院 経済科学研究科博士課程 前期修了(修士)
        2007年 3月 埼玉大学大学院 経済科学研究科博士課程 後期修了(博士)
    <職歴>1972年 4月 和歌山県立医科大学附属病院(助産婦)
        1976年 4月 国立王子病院(産婦人科病棟勤務)
        1976年10月 関東逓信病院(現NTT東日本関東病院)産婦人科病棟
        1989年 4月 関東逓信病院 産婦人科病棟 婦長
        1992年 4月 関東逓信病院 副看護部長
        1997年 4月 関東逓信病院 看護部長
        2003年 4月 北里大学大学院看護学研究科 非常勤講師
        2005年 4月 共立女子短期大学看護学科 非常勤講師
        2006年 4月 NTT東日本関東病院 シニアアドバイザー
        2006年 4月 東京医療保健大学看護学科 学科長 教授
        2007年 4月 東京医療保健大学大学院 医療保健学研究科 教授
        2008年 4月 東京都看護協会 副会長
        2008年 6月 社団法人日本看護協会 副会長
        2011年 6月7日 公益社団法人日本看護協会 会長

  • ジョゼ・ラモス=ホルタ

    元東ティモール大統領

    - 国連事務総長任命「平和活動に関するハイレベル独立パネル」議長(2014年~)
    - 国連事務総長特別代表ならびにギニアビサウ(西アフリカ)統合平和構築ミッション代表(2013年~2014年)
    - 東ティモール民主共和国大統領(2007年~2012年)、首相兼国防大臣(2006年~2007年)、外務・協力上級大臣、大臣(2002年~2006年)、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)閣僚(2000~2002年)
    - 東ティモール独立宣言後の1975年12月に誕生した初代政府における外務・情報大臣、独立革命戦線代表・スポークスパーソン(1975年~1999年)
    - 東ティモール及び国際的に平和と紛争調停に積極的に活動。1996年にノーベル平和賞を受賞。バンコクに事務局を置くトラック2外交・調停のためのアジア各国のリーダーで構成されるアジア平和・和解評議会(APRC)副議長。
    - オーストラリア、日本、韓国、タイ、フィリピン、ブラジル、ポルトガル、米国等の諸大学から20以上の名誉博士号を授与され、客員教授を務める。
    - 主な著作に『フヌ・東ティモールの未完の冒険』(RedSeaPress,Trenton,米国,1987)、『東ティモール、ディリで会おう』(DomQuixote,Lisbon,1994)。共著『プリンシパルの問題:イラク戦争における人道的議論』
    (トーマス・クッシュマン編、カリフォルニア大学出版会,2005)。その他、インターナショナルヘラルドトリビューン、ニューヨークタイムズ、ウォールストリートジャーナル、ハフィントンポスト、デイリービースト/ニューズウィーク等に国際関係関連の寄稿多数、平和と安全保障に関する国際会議に多数参加。

  • スリン・ピッスワン

    元ASEAN事務総長

    タイ南部のナコン・シー・タマラートの出身。ハーバード大学 で政治学と中東研究を専攻し、修士号および博士号を取得。
    米国での教育・研究活動終了後、タイに戻り、タマサート大学で教鞭をとる。その2年後に下院(人民代表院)議員となる。任期中に下院議長の秘書官、内務省副大臣秘書官、外務副大臣、外務大臣を歴任した。ASEAN外相会議の議長やASEAN地域フォーラム議長を務めている。東南アジア各国政府による法・秩序開封活動を主導し、国連や国際社 会の支援を受けたこの活動は、東ティモールの平和と安全の実現にも寄与した。
    2001年中旬には外務担当職を離れ、新たに国連の人間の安全保障委員として活動した。さらに、介入と国家主権に関する国際委員会のアドバイザーを務め、2004年までILO(国際労働機関)のグローバル化の社会的側面に関する世界委員会に名を連ねた。
    スリン博士はこれまでにブリストル大学、クレアモント・マッケナ大学、マラヤ国立大学、プルタマレーシア大学、マラヤ大学等から合計13の名誉博士号を授与。現在は、東アジアにおける地域統合の推進ならびにタイにおける教育・政治改革活動に従事すると同時に、世界各地の様々な会議で多数講演を行う。

●ハンセン病国際シンポジウム「今、何故ハンセン病問題なのか?」

  • ヴァガヴァサリ・ナルサッパ

    インド・ハンセン病回復者協会(APAL)会長

    ヴァガヴァサリ・ナルサッパ(47歳、既婚、2女)は貧しい家庭の出身で、9歳でハンセン病と診断された。偏見と差別に直面するなか、村から追い出され、ハイデラバード近くのニザマバード地区ヴィクトリア・ハンセン病リハビリテーションホームに連れて行かれた。そこで患者や回復者たちの苦難に衝撃を受け、このホームから患者ならびに回復者のための活動を開始した。
    2004年には偏見や差別と闘うための州組織、ハンセン病回復者ソサエティ(SLAP)を設立した。彼の活動はこれまでBBC、英国ガーディアン紙、Andhra Jyothi(アンドラ・ジョティ)(週刊誌)、インディアン・エクスプレス紙、WHOハンセン病制圧大使ニューズレター等の紙ならびに電子媒体で取り上げられている。
    過去にはインドの「障害者(ハンセン病)のために活動する最優秀個人」に輝き大統領から表彰を受けた他、ガンジー・セヴァ・ヤグナ等で賞に輝いている。現在はインド・ハンセン病回復者協会(APAL)の会長として、インド全域で活動を展開している。

  • 山内 きみ江

    国立療養所多磨全生園

    1934年、静岡県藤枝市に生まれる。1957年、22歳で国立療養所多磨全生園に入所。同年、23歳で入所者の定(さだむ)氏と結婚。当時男性患者に施された断種手術のため、子どもはいなかったが、2001年、66歳の時に養女を迎える。2005年、全生園近くのマンションに転居。定氏は持病悪化のため園に残る。2010年、76歳の時に初孫が誕生。2011年1月に定氏死去、3月に東日本大震災発生。同年、全生園内に戻る。
    福島の子供たちが「そばに来ると(放射能汚染が)うつる」と言われたと聞き、「胸が締めつけられる思いがした」として、5月に福島を訪問。「放射能の怖さはらい菌と一緒で見えないから怖い」という思いを抱く。2012年1月に全生園敷地内に開園した保育園に週に一度通い、子どもたちとの交流を楽しんでいる。
    多磨全生園に入所してから漢字をおぼえるために始めた俳句や五行歌を今も書いており、毎月専門誌に投稿している。また、70歳を過ぎて覚えたパソコンで毎日日記を書いている。

●パネルディスカッション1「ハンセン病と医療・看護―あらゆる人に尊厳あるケアを―」

  • ファシリテーター

    喜多 悦子

    公益財団法人笹川記念保健協力財団理事長

    1965年奈良県立医科大学卒業。1976年医学博士。小児科医としてスタートし、母校、国立病院、NIH/NIEHS米国立研究所/環境保健研究所、中国中日友好病院(JICA専門家)、国立国際医療研究センター勤務後、UNICEFアフガン事務所保健栄養部長、Johns Hopkins大学公衆衛生大学院上級研究員(~現在)、WHO緊急人道援助部緊急支援課長など国際医療協力分野での活動を経て、2001年より日本赤十字九州国際看護大学教授、2005年より2013年まで学長を務める。1988年日本政府よりパキスタン・ペシャワールに新設されたUNICEFに派遣されたが、これは日本政府が海外の紛争地域に派遣した最初の日本人医師となった。
    エイボン女性大賞など多くの受賞をしているが、1997年にはペルー大使公邸人質事件における現地医療協力支援の功績に対し厚生大臣賞、2012年には男女共同参画社会づくり功労者として内閣総理大臣より表彰されている他、2006版NewsWeek世界が尊敬する日本人100人に選出。

  • 山口 乃生子

    埼玉県立大学保健医療福祉学部看護学科講師

    【学歴】
    平成4年  国立療養所多磨全生園附属看護学校卒業
    平成13年  東洋大学社会学部社会学科卒業
    平成15年  北里大学大学院看護学研究科
          看護学専攻修士課程(感染看護学)修了
    平成21年  東京大学大学院医学系研究科
          国際保健学専攻博士課程(国際地域保健学)修了

    【職歴】
    平成4年~平成6年まで看護師として同療養所に勤務。平成6年~平成8年まで笹川記念保健協力財団の派遣看護師としてネパール連邦民主共和国国立コカナレプロサリウムに勤務し、現地スタッフとともにハンセン病患者・回復者のケアを行う。帰国後、病院勤務を経て、平成16年より埼玉県立大学保健医療福祉学部看護学科に就職する。現在は講師として成人看護学、感染看護、グローバルヘルスなどの科目を担当している。主な研究テーマは、「ネパールにおけるハンセン病患者・回復者とその家族への支援」、「看護教育におけるProblem-based learning(PBL)の実践」など。

  • クリスティ・レーン

    クリオンハンセン病療養所総合病院看護師、フィリピン

    クリスティ・レイン・E・イバルダローザ(26歳)は、1988年4月15日にフィリピン・パラワン州のクリオン島で生まれた。一家の三女で、現在は母親とクリオン島に在住。父親は14年前に心臓発作で他界。祖父とレイン自身はハンセン病に罹患したが、多剤併用療法(MDT)により治癒した。ハンセン病に罹患しても看護師になりたいという夢を持ち続け、笹川記念保健協力財団による支援を受けて、看護師になるという夢を実現させた。現在はクリオン療養所/総合病院で看護師として勤務している。様々な世代の患者さんがいるこの施設で、治療を受けた立場の自分が今は看護の仕事ができるということに対して大変光栄なことであると感じている。

  • 藤澤 千栄美

    国立療養所多磨全生園看護部長

    茨城県出身 1963年(昭和38年)10月22日生(51歳)

    【所属・職種】
    国立療養所多磨全生園 看護部長

    【学歴】
    1982(昭57)年3月 茨城県立土浦第二高等学校卒業
    1985(昭60)年3月 茨城水戸赤十字看護専門学校卒業

    【免許等】
    1985(昭60)年5月 看護師免許
    1993(平5)年5月 救急救命士免許

    【職歴】
    1985(昭60)年 日立製作所水戸総合病院 看護師
    1986(昭61)年 茨城県立こども病院 看護師
    1987(昭63)年 国立療養所晴嵐荘病院 看護師
    1993(平5)年  同病院 副看護師長
    1996(平8)年  国立療養所足利病院 看護師長
    2000(平12)年 国立病院機構水戸医療センター 看護師長
    2009(平21)年 国立病院機構東長野病院 副総看護師長
    2011(平23)年 国立病院機構高崎総合医療センター 副看護部長
    2014(平26)年 国立療養所多磨全生園 看護部長
            現在に至る

  • 木村 あつ子

    国立療養所多磨全生園看護部副看護部長

    岩手県出身 1958(昭和33)年10月15日生(56歳)

    【所属】
    厚生労働省 国立療養所多磨全生園 副看護部長

    【学歴】
    1980(昭55)年3月 国立病院医療センター(現:国際医療 研究センター) 附属看護学校卒業

    【免許等】
    1980(昭55)年4月 看護師免許
    1990(平2)年9月 国際緊急援助隊医療チーム研修終了

    【職歴】
    1980(昭55)年3月 国立病院医療センター(現:国際医療研究センター) 看護師
    1989(平元)年11月 硫黄島戦没慰霊祭事業により厚生省援護局併任
    1991(平3)年4月 日墨交流計画にて厚生省よりメキシコ合衆国へ出張研修(1年)
    1993(平5)年10月 国立国際医療センター 国際医療 協力局派遣協力課看護師 病院看護師併任
    1994(平6)年4月 同病院 副看護師長
    1997(平9)年4月 国立長野病院(現:NHO信州上田 医療センター) 看護師長
    2002(平14)年4月 国立栃木病院(現:NHO栃木医療 センター) 看護師長
    2003(平15)年4月 国立病院東京災害医療センター(現: NHO災害医療センター) 副看護部長
    2005(平17)年4月 NHO栃木病院(現:NHO栃木医療 センター) 副看護部長
    2007(平19)年4月 NHO西新潟医療センター 副看護部長
    2010(平22)年4月 国立療養所多磨全生園 副看護部長
    現在に至る

  • 石田 正子

    国立療養所多磨全生園看護師

    長野県出身 1963年(昭和38年)1月9日生(51歳)

    【所属・職種】
    国立療養所多磨全生園 看護

    【学歴】
    1982(昭57)年3月 長野県立丸子実業高等学校卒業
    1984(昭59)年3月 国立東信病院附属看護学校卒業
    2013(平25)年3月 武蔵野大学 通信教育部看護学 履修コース終了
    2014(平26)年4月 国立看護大学校 研究過程部精神看護学分野 第1学年在学中

    【免許等】
    1984(昭59)年4月 看護師免許
    2009(平21)年11月 認知症ケア専門士
    2014(平26)年2月 看護学学士授与
    2014(平26)年5月 LNEC-Jコアカリキュラム指導者

    【職歴】
    1984(昭59)年4月 国立小諸療養所 看護師
    1993(平5)年3月 同療養所 退職
    1995(平7)年4月 栃木県看護協会立 訪問看護ステーション 看護師
    1996(平8)年3月 同ステーション 退職
    1999(平11)年5月 結核予防会新山の手病院 看護師
    2000(平12)年3月 同病院 退職
    2000(平12)年4月 国立療養所多磨全生園 看護師
    現在に至る

  • ディリープ・クマール

    インド看護協会会長

    T・ディリープ・クマール氏は、インド看護協会(INC)の現会長で、過去にはインド政府看護諮問委員を務めた。看護諮問委員在職時には、看護サービス開発の一環として多様な企画の立ち上げに携わった。当時の業績は、看護学校の看護大学への格上げや、看護学校/大学の充実、看護従事者への継続的教育、優秀看護従事者に対する大統領国家表彰の復活、重点州における補助看護・助産師/一般看護・助産師学生トレーニングの開始など数多い。
    また、現在会長を務めるインド看護協会においても多くの改革を実行、看護学博士号のための全国コンソーシアムの開発、看護・助産師プログラム、選定国同士における相互評価と承認といった多くのプログラムを実施している。これに加え、HIV/AIDSプログラムにおける9万人の看護師を対象とするトレーニングのための、GFATM(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)からの資金獲得にも責任を持っている。さらに、国際看護師協会(ICN)へのインドの加盟に関する責任者を務めた。

●パネルディスカッション2「風化させてはならないハンセン病の歴史」

  • ファシリテーター

    ジョセフィン・ロバートソン

    博士、オーストラリア・クイーンズランド大学人文社会学コミュニケーション・アーツ学部ライティング講師

    ジョセフィン・ロバートソン氏は、19世紀末クイーンズランド植民地時代のハンセン病問題に関する博士研究を修了後、国際的な専門家から構成される運営委員会を擁する国際ハンセン病学会のハンセン病の歴史に関する世界プロジェクトのコーディネーターとして、オックスフォード大学ウェルカム医学史研究所の研究者に就任した。このプロジェクトから得た多大なる研究成果を活かして、ジュネーブ大学(スイス)のInstitut d'Histoire de la Médecine et de la Santé, Centre Médicale Universitaire(CMU)(WHOの提携機関)に在籍中、ハンセン病の世界近現代史に関する研究論文(近刊)を執筆。現在は、クイーンズランド大学で執筆・編集・出版の分野で教鞭を取る一方、ハンセン病制圧の歴史における子供の役割に焦点を当てて研究している。

  • 平沢 保冶

    国立ハンセン病資料館運営委員

    国立ハンセン病資料館運営委員・語り部。前多磨全生園入所者自治会会長。東村山市身体障害者患者連絡協議会副会長。
    1927年茨城県古河市に生まれる。14歳のとき多磨全生園に入所、現在に至る。1950年範子夫人と結婚、その際に断種手術をうける。その後、ハンセン病回復者・患者及び障害者運動にかかわり、一方で多磨全生園を「人権の森」として地域の人々に憩いの場として受入れてもらいたいと療養所の緑化・植樹運動に取り組む。さらに隔離されてきた入所者の生きた証を残し、ハンセン病史から得られる教訓を後世に伝えたいと、ハンセン病資料館の設立に尽力する。近年は、資料館の「語り部」として、地域の小中学校の子どもたち、看護学校の学生を対象にした人権教育に積極的に携わる。年間5千人の子どもと会い、自らの人生を振り返り、「生きていくことは簡単じゃない。でも辛さに堪えられる人間になってほしい。」と語りかける。ハンセン病の哀しい歴史を踏まえて、しかしそれでも希望を捨てなかった自らの生きる姿を見せて、希望という虹のかけはしが未来にもかけられるよう、子供たちに生きる力を注ぎ続けている。

  • 黒尾 和久

    国立ハンセン病資料館学芸部長

    国立ハンセン病資料館学芸部長。東京学芸大学・中央大学兼任講師。厚生労働省健康局歴史建造物の保存等検討会委員。
    1961年東京都大田区で生まれる。東京学芸大学で教育学・博物館学を学び、東洋大学文学部大学院修士課程で考古学を修める。その後、東京都多摩地域にて考古学調査に従事。専門は「縄文時代」(日本列島固有の新石器時代)の実証的集落研究。その観点と方法を古代・中世そして近現代へと適応させてきた矢先の2000年に「旧石器遺跡ねつ造事件」が発覚。事件を契機に考古学史研究に着手し、考古学者の植民地支配・侵略戦争、国策との関わりを調査する。その過程で、同じ負の構造をもつハンセン病問題に出会い、縁あって2009年4月から国立ハンセン病資料館に勤務。現在、資料館スタッフとともに博物館機能の充実に努める。その傍ら、全国のハンセン病療養所を歴史遺産とするために各方面との連携を模索する。2014年4月に栗生楽泉園内(群馬県草津町)に開館した重監房資料館の建設に協力、「重監房」再現のために跡地の発掘調査を主導した。

  • アルトゥロ C. クナナン、ジュニア

    医学士、公衆衛生学修士、CSEE、博士
    クリオンハンセン病療養所/総合病院院長、フィリピン

    フィリピンのパラワン州クリオン島で生まれ育つ。クリオンハンセン病コロニーに隔離収容されたハンセン病患者・回復者の直系の子孫にあたる。クリオンで初等・中等教育を修了後、マニラと英国で医療技術学学士号、医学士号、公衆衛生学修士号、国際衛生学博士号を取得。クリオン島に帰郷後は、同島で多剤併用療法(MDT)や血清疫学調査、化学療法を導入実施し、ハンセン病のコントロール・療養・研究プログラムの強化に従事、公衆衛生問題としてハンセン病の制圧を達成した。
    フィリピンハンセン病制圧プログラム専門家作業部会委員。レナード・ウッド・ハンセン病研究記念館科学諮問委員会委員。ハンセン病患者・回復者とその家族に対する偏見や差別の撲滅、ハンセン病患者と回復者の人権と尊厳プログラム、ハンセン病の歴史と記憶の保存、ハンセン病患者と回復者のエンパワーメント、ハンセン病サービスにおけるハンセン病回復者の参加推進など国内外のプログラム・活動に精力的に取り組んでいる。
    フィリピン殊勲賞、フィリピン優秀医師賞など国内外で数多くの賞を受賞。
    現在はクリオンハンセン病療養所/総合病院院長で、WHO西太平洋地域事務局のハンセン病コンサルタントも務め、過去にはWHO世界ハンセン病プログラム(GLP)でも勤務した。
    既婚、2児の父。フィリピンのパラワン州クリオン在住。

  • アルトゥール・クストジオ

    ハンセン病NGO“MORHAN”ナショナル・コーディネーター、ブラジル

    アルトゥール・クストジオ、47才、写真家。30年前よりブラジルのハンセン病NGO“MORHAN”のボランティアとして活動、1995年に初めてMORHAN全国コーディネーターに選ばれ、以降任期2年ごとに再選出されている。MORHANを代表し、国家衛生審議会、国家障害者の権利審議会、保健省技術諮問委員会の委員を歴任。
    現在、リオ・デ・ジャネイロ州衛生審議会、国家衛生審議会ハンセン病委員会、連邦共和国大統領府人権局高齢者人権国家委員会、同局ハンセン病特別委員会において、MORHANを代表して諮問委員を務めている。

●パネルディスカッション3「ハンセン病問題の将来―私たちにできることは?―」

  • ファシリテーター

    横田 洋三

    公益財団法人 人権教育啓発推進センター理事長

    東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。世界銀行法律顧問、国際基督教大学教授、アデレード大学客員教授、ミシガン大学客員教授、コロンビア大学客員教授、東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授、中央大学法学部・法科大学院教授を経て、現在は法務省特別顧問、(公財)人権教育啓発推進センター理事長、(公財)日本ユニセフ協会顧問。
    この間、国連大学学長特別顧問、国際連合大学高等研究所客員教授、国連人権促進保護小委員会委員、国連人権委員会ミャンマー担当特別報告者、国際労働機関(ILO)条約勧告適用専門家委員会委員・委員長、日本国際連合学会理事長などを歴任。
    2004年、国連人権促進保護小委員会の時に、委員会よりハンセン病と差別の問題の調査を任され、世界各国の差別状況を調査し、報告書にまとめる。この成果が後の国連人権理事会における「ハンセン病の患者・回復社、そしてその家族に対する差別の撤廃」決議を導いた。
    専門は国際法、国際機構法、国際人権法、国際経済法。

  • リン・インユー

    ジョイ・イン・アクション(JIA)
    プロジェクト部門コーディネーター

    私は大学2年生だった2006年にJIAのボランティアになり、大学を卒業するまでの4年間、中国南部にある複数のハンセン病患者・回復者の村でボランティア活動を続けました。2010年からはJIA本部でプロジェクト部門のコーディネーターを務めています。この部署で、ハンセン病患者・回復者の村におけるより持続可能で質の高いボランティア活動を推進するための、若年ボランティアの養成やボランティアグループの開発を担当しています。

  • シラタン・セルムリティロング

    タイ保健省疾病対策部ラー・プラチャ・サマサイ研究所公衆衛生テクニカル・オフィサー
    公衆衛生学修士、博士

    シラタン・セルムリティロングはタイ北部の出身で、ラムパーン県の片田舎で育つ。同氏がハンセン病患者・回復者と最初に接触したのは幼少時代。帽子と布切れで顔を覆い、古い布袋を片手にたびたび物乞いをする人に米をあげるよう母親から言われた時だ。仲良しの友達が住む近くの村には、地域社会から隔離された民家に老夫婦が暮らしており、その老婦人は「障害のあるらい患者」(差別用語)だと聞いていた。同氏が見たのは、生計を立てるために肉体労働者として働きに出る老父だけで、老婦人の姿を見た人は誰もいなかった。
    セルムリティロング氏は、タイ南部のシーナカリンウィロート大学を卒業し、タイ北東部で2年間教師として働いた後、約30年前にタイのハンセン病機関に勤務。ラムカムヘン大学で2番目の保健教育学士号を取得後、バンコクのシーナカリンウィロート大学で修士号を取得。その後、オランダフェローシップとオランダハンセン病協会の支援を受け、オランダの王立熱帯研究所で公衆衛生学修士号を取得。さらにオランダフェローシップの財政援助を受け、オランダハンセン病協会のWimvan Brakel博士とアムステルダム自由大学アテナ研究所のJoske Bunders教授の指導の下、アムステルダム自由大学で博士号を取得。ハンセン病に対する偏見という博士号の研究テーマは、「ハンセン病患者と回復者は、なぜ物乞いや隔離された生活を強いられるのか」という同氏が幼少時代に抱いた疑問に基づいている。
    同氏は現在、タイのラジ・プラチャ・サマサイ・インスティトゥートの公衆衛生テクニカル・オフィサーを務めている。ハンセン病、特に療養分野に関する研修やセミナーを運営管理すると共に、タイのハンセン病プログラムに関する行動計画の策定および実施に取り組んでいる。
    また、ハンセン病プログラムに関する国内外機関とのコーディネーター役を務め、同プログラムの実施においてタイ全土のハンセン病地域コーディネーターを支援し、ハンセン病関連の研究プロジェクトにも従事している。
    夫は海軍将校。一女一男の母。

  • チアゴ・フローレス

    ハンセン病NGO「MORHAN」ミナス・ジェライス州コーディネーター、ブラジル

    チアゴ・フローレス(29歳)は、ブラジルのミナスジェライス州ベチンのサンタイザベル・コロニーで養子として育った。
    2003年にヴィソーザ連邦大学(UFV)にて農業技術コースを修了し、2006年からブラジルにおけるハンセン病患者・回復者への補償活動に積極的に参加し始める。
    2009年にはミナスジェイラス・カトリック大学で法学位の勉強を開始し、ブラジルのコロニーの実情を研究。ハンセン病患者・回復者の子どもである「第二世代」に関する論文で複数の賞を受賞した。ベチン市保健評議会の副会長を二期連続で務め、2012年には日本で開催されたハンセン病歴史保存ワークショップのためのMORHAN委員会にも名を連ねた。
    現在は大統領府特別人権局でMORHANを代表して勤務し、ベルギー・ブリュッセルでの第18回国際ハンセン病学会にも参加している。MORHANのミナスジェライス州コーディネーター、ならびに第二世代委員会のメンバーでもある。

  • 森 和男

    全国ハンセン病療養所入所者協議会会長(2014年8月〜)

    1940年徳島県鳴門市生まれ。1949年に9歳で姉キヨコさんと共に国立療養所大島青松園に入所し、半世紀以上、療養生活を送る。
    社会から隔絶された環境に「島で人生を終えてしまうのか」と苦しむも、1956年に長島愛生園(岡山県)の高校に入学が叶い、初めて大島以外の世界を知る。高校卒業後、大阪市立大に進学。1969年には大阪の商社に就職するが、病気を隠しての社会生活であった。ストレスが重なり病気が悪化し、治療のため1971年に大島へ。以来、青松園で暮らし、入所者の生活改善などに奔走する。2008年より青松園の自治会長を通算6期6年務め、2010年6月より、徳島県人会長として入所者の世話役を担う。
    2014年8月、全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)の会長に就任。前任者は入所者の尊厳回復に尽力し、同年5月に亡くなった義兄の神美知宏氏。その遺志を引き継ぎ、平均年齢83歳を超える全国13カ所の療養所入所者約1800人を束ねる。