正しい知識がないことから引き起こされる偏見・差別、回復者の高齢化で深刻さを増す歴史の風化問題。人としての尊厳をどのように回復し、自立への道を目指すのか…。ハンセン病にまつわる課題は、過去、現在、未来のすべてに関わっています。「グローバル・アピール2015」では、こうした問題全般への理解を深めるため、回復者のライフヒストリーに関する講演、パネルディスカッションなども行われました。
ヴァガヴァタリ・ナルサッパハンセン病回復者協会会長(インド)
山内きみ江国立療養所多磨全生園(日本)
午後に行われた国際シンポジウムでは、まずヴァガヴァタリ・ナルサッパさん(46歳)と山内きみ江さん(80歳)が、自らのライフストーリーを語りました。
ナルサッパさんは9歳のときにハンセン病を発症。施設で治療を受けた結果、2年後に退院できたものの、家に帰る道もわからず、家族や村からも拒絶されてしまったという体験を語りました。その後、ナルサッパさんは医療技術を身につけ、患者、回復者の権利、尊厳の回復を求め、世界中で活動を行っています。
山内さんは22歳のときにハンセン病と診断され、療養所に入る必要はないと言われたにもかかわらず、自分の家族が偏見の目にさらされてはならないと考え、多磨全生園に自ら入所。その後療養所内で結婚、70歳になって社会復帰を決意し、さまざまな偏見を乗り越えてマンション暮らしをすることができた、と闘いの半生をふりかえりました。「山内という家を構えることは、私たち夫婦にとって長年の夢でした。夫に手料理を食べさせ、風呂に入れる。社会に出たという実感をもつことができた」と山内さん。
最初のパネルディスカッションでは、フィリピン・クリオン島における医療、介護の現状、日本の国立療養所多磨全生園における現状と今後の課題、インドの看護と教育制度、ハンセン病患者、回復者がおかれている現状などについて、医療・看護の現場の視点からプレゼンテーションが行われました。
このディスカッションでは、かつて世界最大のハンセン病コロニーと呼ばれたフィリピン・クリオン島の現在、世界唯一のハンセン病未制圧国となっているブラジルにおける隔離と差別の歴史、断種政策により2世、3世がいない日本独自の事情などについて関係者が証言。いかにして歴史を保存し、語り継いでいくかについてディスカッションが行われました。
セッションの後半、黒尾さんからは「偏見、差別などを乗り越えていくためには、社会が変わらなければいけないが、そのためには粘り強い努力を続けていくしかない。そのためにも、どういう歴史を次の世代に残すのか、その歴史からどのような教訓と希望を得ていくのかが、非常に重要」というコメントもありました。
最後のパネルディスカッションでは、中国、タイ、ブラジル、日本のパネリストが登壇。学生が回復者村で行っているワークキャンプ(中国)、農業、医療を手がかりにハンセン病コロニーと地域の集落との垣根を取り払っていく試み(タイ)、コロニーに有名芸能人を招いてコンサートを行う(ブラジル)など、各国で未来のために行われているさまざまな試みが紹介されました。
また、会場参加者を交えての質疑応答も活発に行われ、世界各国から訪れた回復者、関係者も積極的に発言。歴史を単なる過去のものとして保存するのではなく、未来のために活かしていかなければならない、という声も多く聞かれました。