2015年1月24(土)〜28日(水)の5日間、丸の内オアゾで開催されたハンセン病写真展「ハンセン病を考えることは人間を考えること」。10年以上にわたり、ハンセン病の現場を撮影してきた日本財団フォトグラファー・富永夏子さんに、お話をうかがいました。
2002年から、世界のハンセン病コロニーなどを訪れ、写真撮影をされてきたということですが、日本財団フォトグラファーとして訪れた国は、どれくらいの数になるんでしょう。
「80数カ国だと思います。そのうちハンセン病に関係した撮影をしたのは、60カ国以上になります。撮影した写真の枚数は、数えたことがないのでわかりませんが、膨大な数であることは、間違いないと思います」
日本財団フォトグラファーとして、ハンセン病療養所、コロニーなどを訪問する前は、富永さん自身、ハンセン病患者、回復者と会う機会はあったんですか。
「まったくなかったです。私自身、患者さんや回復者の方と会うようになったのは、日本財団で撮影するようになってからのことなんですね。その頃(2002年)というのは、世界のハンセン病回復者のおかれている状況も、今より悪いところが多かったように思います。身体に障がいの残っている方も多かった。ですから最初は私自身、本当に衝撃を受けました。
撮影を始めた当初はインドに行く機会が多かったんですが、インドはとくに患者、回復者のおかれている状況がひどくて、施設そのものも、かなり環境の悪いところが多かった。そういった現状や、そこで暮らす人々を見るのは、とてもつらかったです。慣れるまでには、かなりの時間がかかりました」
今回の写真展では、約40枚のパネルを展示していますが、数限りなくある写真のなかから、この40枚の写真を選んだのは、どんな理由があったんでしょう。
「今回の写真展をやるにあたり、まず最初に考えたのは、まったくハンセン病を知らない人たちに、どうしたら病気のこと、彼らの置かれている状況をわかってもらえるかということでした。ですから、そのためのストーリーのようなものをあらかじめ考え、それに沿って写真を選んできました」
写真そのもののではなく、あくまでも写真展を見る人に知ってもらうこと、理解してもらうことを意識したということですか。
「ストーリーに合っていて、しかも心の動く写真、という基準で選びました。私自身、他にも好きな写真、気に入っている写真というのはありますけど、それだけでは選んでいないつもりです」
写真展の場所を丸の内の駅そば(丸の内オアゾ)の公共スペースにしたというのも、そのあたりに関係があるわけですね。
「ハンセン病について一人でも多くの方に知ってもらうためには、いわゆるクローズドなスペースでの写真展では、意味がないと思いました。そういった場所には、招待された人か、相当興味をもった人しか来ないじゃないですか。今回の写真展はそうではなく、ごく一般的な人たちが、通りがかったときに、ふと足を止めて見ていってもらえる、そんなものにしたかったんです」
実際にそういう人たちは多かったんでしょうか。
「アンケートを見ると、たまたま通りすがりに見てくれた人が、実際かなり多かったです。答えていただいた方のコメントも『今までハンセン病のことを知らなかったけど、知ることができて良かった』『考えるきっかけになった』『何かハンセン病のためにやってみたいと思った』など、とてもいいものが多かった。すごくうれしかったです」
「ハンセン病を考えることは人間を考えること」につながっていく。今回の写真展が、そのためのきっかけになるといいですね。
「そう思います。今の日本では、ハンセン病を知らないことが当たり前になっていますけど、ハンセン病を考えることは、自分について考えることでもあると思うんですよ。私たちの暮らす世界には、ハンセン病だけじゃなく、いろいろな差別や偏見がある。いじめだってありますよね。そして、その差別や偏見というのは、自分自身の心のなかにもあるものかもしれないんです。この写真展を、そういったことにも、思いを巡らせるきっかけにしてもらえればと思います」
富永夏子(とみなが・なつこ)
日本財団フォトグラファー。大学、写真学校を卒業後、テレビ局のスポーツ記者を経て、2002年より現職。世界のハンセン病患者・回復者のおかれた現状、人々の暮らし、表情などを撮り続けている。