ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Elimination

Leprosy Sanatoriums & Resource center in Japan / 日本のハンセン病療養所・資料館

Nagashima Aiseien

長島愛生園

岡山県

樹影濃い島を切り拓いてつくられた
国内初の国立療養所

1930年(昭和5年)に日本初の国立療養所として発足。国が設置した最初の療養所として長島が選ばれた理由は、離島という環境が隔離にもっとも適していると考えられていたためである。定住する人がほとんどおらず、島の大部分が国有地だったという環境も国立療養所開設をあと押しする一因となった。1946年(昭和21年)に現在の「国立療養所長島愛生園」へ名称変更し、現在に至っている。

入所者みずから道を切り拓いた園内には入所者用住宅があり、生活に必要とされる仕事のほとんどは入所者みずからが分担して行っていた。山中には農場、牛舎などもつくられ、その遺構の一部は現在も目にすることができる。「隔離の島」と呼ばれた長島に橋が架かったのは1988年(昭和63年)。園ができてからじつに58年目のことであった。園内には開園当時の事務本館をリニューアルした博物館「長島愛生園歴史館」もあり、毎年多くの見学者が訪れている。

国立療養所 長島愛生園

https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/hansen/aiseien/index.html

〒701-4592
岡山県瀬戸内市邑久町虫明6539
Tel. 0869-25-0321 / Fax. 0869-25-1762

アクセス:

JR赤穂線邑久駅下車、邑久駅前バス停から東備バス愛生園行き。(所要時間47分)
東備バスの愛生園乗り入れは平日1往復、休日は3往復。

View Points

View Points of Nagashima Aiseien

  • 収容桟橋

    愛生園の北側の浜に、園に収容される人びとのためにつくられた桟橋の残骸が残っています。この桟橋は1939(昭和14)年につくられたもので、もっぱら「収容桟橋」として使われていました。当時は職員と入所者の生活区域は厳密に分け隔てされていたため、職員が通勤用につかう桟橋は別につくられていました。入所者にとって「収容桟橋」は、長いあいだ社会や家族との別離を象徴するものだったのです。

  • 収容所(回春寮)

    「収容桟橋」のすぐ前には、かつて長島愛生園に収容された患者が最初に入った建物が、いまも当時の面影をそのまま残して建っています。建物のなかには消毒風呂も残されています。収容されるとこの建物でさまざまな検査を受け、消毒風呂に入れられ、手続きをするあいだ1週間ほど過ごすということになっていました。わずかな持ち物もすべて消毒されました。

  • 納骨堂

    愛生園の現在の納骨堂は、2002(平成14)年に建てられたもので、それ以前は1934(昭和9)年につくられた初代納骨堂が使われていました。ハンセン病に対する差別や偏見のひどかった時代は、亡くなってお骨になっても故郷に戻ることができない、家族に引き取られることのない人々が多かったため、園内に残された遺骨を「無縁仏」にしてはいけないという入所者たちの想いから、納骨堂がつくられることになったのです。

  • 恵の鐘

    愛生園敷地内の高台に、白い鐘楼堂が設置され、そこに「恵の鐘」が据えられています。この鐘楼台は入所者と職員がいっしょに作業をしてつくったもの、鐘は西本願寺仏教婦人連合会から寄贈されたもので、貞明皇后の「つれづれの友となりても慰めよ、ゆくこと難きわれにかはりて」の御歌が刻まれています。鐘楼堂と鐘は1935(昭和10)年に完成しましたが、初代の鐘は入所者が処遇改善をもとめた「長島事件」の際に乱打され割れてしまい、二代目の鐘は老朽化によって交換、現在の鐘は三代目になります。

  • 新良田教室跡

    1955(昭和30)年、邑久高等学校新良田教室が愛生園の敷地内に開設されました。新良田教室は、国内のハンセン病療養所で唯一の高校(定時制普通科4年制)であり、1953(昭和28)年の「らい予防法」の改正にともない、全患協(現・全療協)の強い要望によって開校が実現したものでした。1987(昭和62)年の閉校までに307名の卒業生を送り出し、そのうち73パーセントの方たちが社会復帰しました。

  • 報国農園跡

    戦争中、日本のハンセン病療養所はどこも深刻な食糧難に陥りました。愛生園では、1943(昭和18)年に入所者たちが島内の山林を開拓して農園をつくり、自分たちが食べるための食料をつくりました。園内には牛舎や豚舎もつくられ、いずれも入所者たちによる過酷な労働によって維持されました。それでも栄養不良などが原因で、1945(昭和20)年にはじつに332名もの入所者が亡くなりました。

長島愛生園歴史館

1930年(昭和5年)、開園に先がけて竣工した事務本館内部を2003年(平成15年)にリニューアル、開館した長島愛生園歴史館。館内にはハンセン病政策や長島愛生園で起きたできごとなどを紹介する常設展示室のほか、映像資料の閲覧ができる第一映像室、入所者の作品を展示するギャラリー・陶芸展示室などがあり、各種企画展示なども定期的に行われている。「ハンセン病政策の発信基地」と呼ばれたかつての園長室も再現されている。

長島愛生園歴史館

http://www.aisei-rekishikan.jp/

〒701-4592
岡山県瀬戸内市邑久町虫明6539
Tel. 0869-25-0321 / Fax. 0869-25-1762

アクセス:

JR赤穂線邑久駅下車、邑久駅前バス停から東備バス愛生園行き。(所要時間47分)
東備バスの愛生園乗り入れは平日1往復、休日は3往復。

開館時間
9:30〜16:00
入館料
無料
休館日
月曜・金曜
夏期 8月10日〜8月20日
年末年始 12月28日〜1月5日
※要事前予約(予約受付は土曜・日曜・祝祭日・年末年始を除く平日8:30〜17時まで)
受け入れ可能人数の関係により希望日に応じられない場合があります。

長島愛生園歴史館のあゆみ

  • 1930年(昭和5年)

    国内発となる国立療養所、長島愛生園の事務本館として竣工

  • 1996年(平成8年)

    老朽化などにより事務本館としての役割を終える

  • 2003年(平成15年)

    老朽化した内部を改修し長島愛生園歴史館として部分開館

  • 2004年(平成16年)

    長島愛生園歴史館として全館開館を果たす

国立療養所 長島愛生園にまつわる人々

  • 田村 朋久(長島愛生園歴史館 学芸員)インタビュー
  • 中尾 伸治(長島愛生園入所者自治会 会長)
  •  石田雅男・懐子(国立療養所愛生園 入所者)

写真で見る「国立療養所 長島愛生園 / 長島愛生園歴史館」