ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Elimination

People / ハンセン病に向き合う人びと

笹川 尚子(瀬戸内こえびネットワーク)

2010年から始まった瀬戸内国際芸術際。
「こえび隊」は、その芸術際をささえるボランティアサポーターとして結成された。
笹川尚子さんは、そのこえび隊に2009年から参加。以来、7年にわたって大島青松園の人たちと関係を育んできたという。
笹川さんにとって、瀬戸内、大島、青松園とは、どんな存在なのでしょうか。

Profile

笹川 尚子氏
(ささかわ しょうこ)

1984年生まれ。NPO法人瀬戸内こえびネットワーク。香川県出身。2010年からこえび隊として大島に関わる。2013年から同職員。現在、瀬戸内国際芸術祭2016に奮闘中。

「こえび隊」に参加して初めて知った、
大島と青松園の存在

笹川さんは香川県のご出身ということですが、大島やハンセン病療養所のことについて以
前からご存知だったのでしょうか。

  • 面積わずか61haの大島だが、瀬戸内国際芸術祭において象徴的な意味をもつ

学校の教科書やテレビで目にする程度で、ほとんどなにも知りませんでした。ハンセン病のことも大島に国立の療養所があるということも、瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)にボランティアとして関わるようになって初めて知ったんです。

ボランティアとして関わるようになったきっかけは、何だったんでしょうか。

アートにもともと関心があったことと、当時こえび隊の事務局をしていた方が、私の知り合いだったんです。それで声をかけていただいて、瀬戸芸のボランティアサポーター、こえび隊に参加することを決めました。2009年の11月ですから、第1回瀬戸芸が開催される半年くらい前のことです。

大島は、なぜ瀬戸芸の会場のひとつとして選ばれることになったのでしょう。

瀬戸芸の構想は開催の3年以上前からあったんですが、総合ディレクターを務める北川フラム(※アートディレクター。各種展覧会のプロデュース、地域づくりなどを数多く手がける)は、当初から「瀬戸芸にはぜひとも大島を入れたい」「大島のない瀬戸芸はない」と、まわりに語っていたそうです。瀬戸芸は備讃瀬戸で行なわれるイベントであり、大島もそのなかのひとつ。入って当たり前の話だし、自然なことだという思いもあったのだと思います。

近代の瀬戸内海には、かつて産廃問題のあった豊島もあって、ともすると「都心から要らないものをもってきて捨てる場所」という負のイメージと結びついてしまいがちでした。でも決してそうではない、ということをアートで発信したいというのが瀬戸芸のテーマのひとつなんです。

また第1回目から瀬戸芸は海の復権という、より大きなテーマを掲げています。北川の「大島のない瀬戸芸はない」ということばも、かつて強制隔離のあった大島青松園の方々が参加することに象徴的な意味があるという考えから出てきたものです。

瀬戸内は近代化にともなう負の遺産を押し付けられてきた場所、とおっしゃっていました
が、なかでも長年管理され、閉ざされてきた島として、大島には象徴的な意味があるわけ
ですね。

  • 「つながりの家」には入所者の生活用具などを展示した「大島資料室」などがある

  • 大島の歌人のあいだで代々受け継がれてきた蔵書「北海道書庫」の書籍展示

  • 大島の土で焼き物を焼く名人、山本隆久さん

はい。大島青松園の方々により積極的に参加してもらうためには、対話を重ねて信頼関係を築いていかなければということで、当初は名古屋造形大の高橋先生(※高橋伸行氏。名古屋造形大の卒業生、有志を中心とした「やさしい美術プロジェクト」で病院と地域をアートでつなぐ取り組みを行っている)が大島を訪れ、入所者の方々と話し合いをもつところから始めました。2007年のことですから、芸術祭の項目などは、まだ何も決まっていなかった頃です。

話し合いを経て、参加していただけることになったのですが、大島が外部に対して開かれていくことに関して、皆さんからの理解を得られたことは、とても大きな意味があったと思っています。北川も「大島に人がやってきて、くつろぎ、集える場所になる。そのことで『大島を忘れないで欲しい』というみなさんの意思や気持ちに伴走していく。それが瀬戸芸なのだ」と、よく語っています。

笹川さんがこえび隊にボランティアとして参加して、最初に体験したのはどんなことでしたか。

大島担当に決まってすぐ青松園の職員の方に、大島の歴史や、この島でどんなことが行われてきたのかというお話を聞きに行きました。聞いているだけでつらくなるような悲しいエピソードがたくさんあって、泣いてしまったんですね。しかもそれは高松港から船で20分ほどのところにある、こんな小さな島で起きていた。そのことにも大きな衝撃を受けました。準備期間中には入所者の方々が主催するワークショップも企画されていたんですが、そんな経験をされてきた方々にどんな態度や表情で接したらいいのか、とても悩みました。

ワークショップには、どんなものがあったのですか。

当時の自治会会長の森和男さん、副会長の野村宏さんが島のなかを案内してくれる大島ガイドツアー、大島の写真を長年撮っていらっしゃる脇林清さんの写真教室、島の土で焼き物をつくる名人、山本隆久さんの陶芸教室など、3つくらいのワークショップが用意されていました。私は大島のことを知りたかったので、森さんと野村さんのガイドツアーに参加しました。

ところが実際にお会いしてみると、森さんも野村さんも、とても明るくてやさしい方なんですね。ガイドツアーの内容も、とても楽しいものでした。職員の方から聞いた悲惨なお話と、実際の入所者の方々との間に、ものすごいギャップを感じたんです。あれ、想像していたのとなんか違うな、それが第一印象です。お手伝いするつもりでやってきた私たちが、入所者の方々から勇気や元気をもらって帰る。毎回そんな感じでした。皆さん、つらいことをたくさん経験してきたはずなのに力強くて、しかもやさしい。それってすごいことだなと。

昔の面会人宿泊所を改装してつくられた「カフェ・シヨル」

関係を深め、島をより理解するために。
会期外もさまざまなイベントを開催

瀬戸芸は3年ごとに開催されるイベント(=トリエンナーレ)で、今年2016年の開催で通
算3回目になりますね。その間、島の方々との関係は、どのように変わってきたのでしょう。

  • 芸術祭がない時期も毎月第2土日にはガイドツアーが開催される

  • 青松園に残るレシピから復刻した「ろっぽう焼」は、やさしさのある甘さ

  • カフェ・シヨルの店内では大島の土で焼いた陶器も多く使われている

  • 芸術祭の会期外も交流は続いている。野菜や花づくりの名人、野村宏さんと

芸術祭といっても、入所者の方々は最初はどういうものかわからないわけですし、人がたくさんやってくるということに対する不安も当然おありだったんじゃないかと思います。そこで芸術祭が終わったあとも私たちこえび隊が、継続して島に通うことにしました。日時を決めてカフェ(※当時はやさしい美術プロジェクトが運営。2014年からこえび隊の運営に変わっている)の手伝いをしたり、ガイドツアーをしたり、イベントを一緒にやったりという活動です。

その結果、こえび隊の存在を皆さんにより知っていただくことができました。「よくきたね」と声をかけてくださったり、2013年の瀬戸芸では「今日は何人来てるんかな」と来場者数を気にかけてくださったり、そういうコミュニケーションが少しずつ増えていったんです。

会期外の活動は、いまも続いているんですか。

はい。毎月第2週の土日には大島のガイドツアーを開催していて、この日は常設のアート作品やカフェもオープンします。古い面会人宿泊所を改装したカフェは「カフェ・シヨル」という店名ですが、シヨルっていうのは、讃岐のことばで「〜している」っていう意味なんですね。店内では大島の土で焼いた器を使ったり、昔、青松園でつくられていたお菓子を復刻した「ろっぽう焼」をメニューに入れたり、大島らしさが感じられるよう、自分たちなりに工夫しています。

カフェ・シヨルには入所者の方も来てくださるんですが、昔の建物を改装しているので、靴を脱いで上がらなければいけません。バリアフリーではないんですね。会期外の営業は土日ですが、週末は療養所の職員の方もお休みのことが多いので、介護の必要なある方はカフェ・シヨルに来たくても、なかなか来ることができません。そこで平日に青松園内にある大島会館の会議室をお借りして、カフェの出張営業をしています。大島会館はバリアフリーなので、車椅子の方でも気軽に来られるんですね。こちらのカフェは出張シヨルという名前なんです(笑)。

あとは2ヶ月に1回くらいのペースで各種ワークショップも企画しています。梅や柑橘類を収穫してシロップ漬けにして、それをカフェのメニューに使ったりしているんです。毎年10月には「大島あおぞら市」という小さなマルシェも開催しています。絵本作家の田島征三さんがライブペインティングを描いてくださるほか、田島さんとゆかりのあるアーティストさんがコンサートを開きます。一般のお店も出店しますし、入所者の方々が手作りした作品も並びます。2014年からは高松市さんの事業で子どもたちが大島に宿泊する、宿泊型ワークショップもスタートしました。

芸術祭のない間はどんな活動をしているんだろうと思っていたんですが、定期的なイベントだけでもかなり忙しそうですね。

項目としてはけっこうたくさんあるんですね。ほかにも私たちにどんなことができるか、つねに考えながら試行錯誤しています。昨年から始めたのは園内放送で流すラジオ番組の製作です。入所者の方は目の見えない方や身体の不自由な方が多いんですが、そういった方々にも愉しんでもらえれるものってなんだろうって、ずっと考えていたんですよ。それがラジオ放送になりました。番組のタイトルは「大島アワー」っていいます。

ラジオ番組は、どんな内容なのですか。

いまから30年くらい前、大島青松園には入所者の方と職員とで結成された「放送劇同好会」があったそうなんです。その活動をヒントに毎月15分から20分くらいの番組を作っています。あらかじめ録音したものを園内放送で流すんですが、入所者の方に聞いた趣味の話、昔のクラブ活動の話などのインタビューコーナーもあります。あとは当時の台本をもとにして『父帰る(※原作は香川県高松出身の作家、菊池寛)』の放送劇を、こえび隊のみんなで演じてみたり。これは4回連続シリーズのラジオドラマにしました。番組をつくっているのは全員こえび隊のスタッフで、完全な手作りです。

「どうでしたか?」と感想を訊いてみると、次回の放送を楽しみにしてくださっている方が、かなりいらっしゃるんですね。そういった声も励みになります。ラジオ番組の製作には、公募で集まった高松市内の小中学生が参加することもあります。

海から引き上げられた解剖台。ガイドツアー参加者は女性が多く、ほとんどが個人で申し込んだ人だという

悲しい島として記憶してほしくない。
アートに触れることも、考えるきっかけのひとつ

今日も海外からボランティアの方が来ていましたが、こえび隊に登録している人の数は、
どれくらいいるのでしょうか。

  • ボランティア活動をおこなう、こえび隊メンバー。海外からの参加者も多い

  • 2016年6月におこなわれた梅の収穫&ジャムづくり(通称:梅まつり)

3年間で活動に参加したボランティアは1500名、今年の芸術祭では海外からの参加者もかなり増えました。現在はガイドツアーやカフェのほか、秋の会期に向けてアーティストの作品作りのお手伝い、入所者の方々が作っている畑のお手伝い、焼き物を焼くための土作りなどをしています。

入所者の方々の高齢化も進みつつあり、以前のようにワークショップで何かをお願いするのは、年々難しくなっています。夏の会期中に外でイベントをやるとなると、健康面が心配ですし、声もかけにくいという現実があるんですね。今までは「入所者の方々が参加しやすいように」と考えてきましたが、今後は「みんなで入所者の皆さんのところへ訪ねていく」というように、やり方を変えていく必要があるだろうと考えています。

会期中、こえび隊の皆さんは大島のガイドツアーを毎日おこなっているそうですが、大島の歴史を紹介するうえで心がけていることはありますか。

ガイドツアーに参加する人たちには、大島のことを悲しい島だと思ってほしくない。私たちはそう考えて島のガイドをしています。ここで暮らす方たちは、それぞれに多彩な趣味をもち、生き生きと暮らしていらっしゃるんですね。そういった現実を知って、明るい気持ちで島をあとにしてもらいたいと思っています。

明るい笑顔の影には、もちろん壮絶なできごとがあったわけですが、悲しい歴史を直接訴えることは、あえてしていません。そこに思いをはせることは、参加した人たちに委ねたいと思っているんですね。

アート作品に助けられている部分も正直大きいと思います。田島征三さんの青空水族館には「泣く人魚」という作品がありますが、それを見て「なんで泣いているんだろう?」って考えることにも、とても大きな意味があると思うんですね。「捨てられた海」という作品は、大島に流れ着いた漂流物で作られていますが、これはロープを引っ張って放すと、いろいろな国のことばで「どうして私を捨てたの?」としゃべりかけてくるんです。

その声は海に捨てられたゴミからの問いかけであると同時に、大島に強制隔離されていた入所者の方たちの声でもあるんです。アート作品を見ながら、そこに気づいて帰ってくださる方たちもいます。

ガイドツアーは、おかげさまで好評です。参加者のほとんどが個人参加ですが、ガイドツアーに参加してくださるということは、少しでもハンセン病に関心をもっているからだと思うんですね。そういった方たちが大島で見たこと、聞いたことをほかの人にもきっと伝えてくれるはず。そう思いながら、いつもご案内しています。その個人の方たちが、なにかあったとき、応援団になってくれるんじゃないでしょうか。私たちはそう信じています。

瀬戸内国際芸術祭サポーター こえび隊
www.koebi.jp

瀬戸内国際芸術祭
www.setouchi-artfest.jp

取材・編集:三浦博史 / 写真:川本聖哉