Blogブログ
Topics 2017.1.10
多磨全生園で、昨年11月15日から行われていた「全生学園」跡地の発掘調査によって、全生園草創期につくられた「堀」の遺構が明らかになり、1月7日(土)に関係者および一般の方々に向けて発掘現場の見学会が実施されました。見学会には、全生園の職員や入園者をはじめ、近隣住民やこの発掘調査に関心をもつ人々が参加、深さ2メートル、幅4メートルにも及ぶ「堀」の大きさに改めて感嘆の声をあげていました。
往時は、掘りあげた土を盛った土塁が堀に沿ってつくられていました。調査の結果、堀の底から土塁の頂までの高低差は4メートルにも及んでいたと想定されるとのことです。この堀と土塁は当時の全生園(全生病院)の患者地区の敷地を囲むようにして全長1.1キロメートルに及び、まさに外部との行き来を阻む「隔離」の象徴と呼ぶにふさわしい規模だったことが明らかになりました。
この発掘調査にたずさわった株式会社DAISANの藤野修一さんによると、「当初は、堀の遺構と全生学園の遺構は少しずれて出てくるだろうと考えられていたのですが、実際に掘ってみると、完全に重なっていました。最初の1カ月ほどは全生学園の基礎の調査にかなり時間がかかりました。同じ場所で二つの遺構を調査したわけです」。いよいよ堀の発掘に入ってからは、底部付近から大量のガラスや陶磁器の破片がみつかり、それらも一つひとつ、「出土品」として慎重に取り出していったそうです。見学会の現場では、ほぼ完全な形で出てきた昭和初期のワインボトルや「桃屋の花らっきょう」の瓶なども展示されていました。堀の底部には緩やかな傾斜があり、おそらくは水はけを考えたうえで施工したものではないかとのこと。また見学会の前日に、堀の片側の斜面に人為的に等間隔につけられた小さな穴の列が見つかったそうですが、それがなんのための穴だったのかはまだわかっていないとのことです。
この調査の責任者であり自身も考古学を専門とする国立ハンセン病資料館学芸部長の黒尾和久さんは、完全に往時の姿をあらわした「堀」を前に「どれくらいの規模のものが出てくるのかおおよその想定はしていましたが、実際にこうやって出てきたものを見ると、ただただ驚くばかりですよ」と語りつつ、「堀」が埋め戻された経緯を明らかにするためのさらなる調査も待ちきれない様子。「土塁を撤去するよりも先に、堀が埋め戻されていたということが古い写真の検証でほぼわかっています。これだけの堀を埋め戻すには大量の土が必要になるわけですが、おそらく敷地を拡張する際に患者作業によって新たにつくられた堀から出た土が使われたのではないかと考えています。またそのとき、余った土で『望郷の丘』(全生園内にある築山。入所者が故郷を偲んだ場所)がつくられたのではないか。このあとは引き続き、その新たな堀の調査をすることで、そのあたりのことも検証したい。それらの関係性を明らかにすることで、これらの遺構の近代日本の歴史遺産としての価値を、より多くの皆さんに理解していただけるようにしていきたいと考えています」(黒尾さん)。
なお、3月26日(日)14:00から、国立ハンセン病資料館で、今回の発掘調査の成果報告会が開催されます。入場は無料、どなたでも参加できます。