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Update 2017.5.8
日本のハンセン病療養所では、子どもを産み育てることは禁じられていましたが、
戦後の宮古南静園では多くの夫婦が、それぞれに葛藤を抱えながら子どもをつくりました。
現在、南静園でボランティアガイドをつとめる知念正勝さんもそんな一人。
隔離政策の現実を目の当たりにし、理不尽な差別・偏見にあいながらも、
「ハンセン病は治る」という希望と、「社会に出るべきだ」という信念を
あきらめることなく持ち続け、「自分の手で子どもを育てたい」という一心で、
不自由な体を押してさまざまな仕事を経験し、自分の足で歩みつづけてきたのです。