Pulau Jerejak
ジェレジャック島
マレーシア
Leprosy and the Islands / 世界の島は語る
Pulau Jerejak
マレーシア
ペナンの南東のリゾートの島に眠る、
ハンセン病の記憶
ジェレジャック島はマレーシア、ペナン島の南東に位置する島。ペナン島から船で15分程度。
1871年、中国人やインド人労働者の流入によりハンセン病患者が増加したため、その強制隔離のために設置された。1930年まで周辺のハンセン病施設の中でも中心的な存在であった(1933年4月愛生園医官林文雄はこの地を訪れている。以下その抜粋)。
しかし、島の療養施設は目が届かないため管理が行き届かないこと、また収容された患者が、十分な福利やケアもないままに、家族・子供・親戚・友人と完全に切り離された生活を送ることは非人間的である、などの理由から島への隔離は次第に内陸部での隔離に移行した。
1960年代、マレーシア政府はジャレジャック島を連邦刑務所とする決定をした。その結果、1969年10月全てのハンセン病入所者は、マレー半島のスンゲイブロー療養所に移転させられた。
ジェレジャック島
国:マレーシア
面積:3.62㎢
googleマップで見る
いよいよ療養所へ向かう。ここは四つの村に分かれている。初期、中等症と重症、それにユーレシアン及びハーフカスト(混血)及び教育の高いその他の人々となっている(1932年には873名の患者が生活している)。
この様に四つに分けたのは地勢の関係で出来れば一緒にしたいと職員は言うていた。
ここらはマラリヤの多いところで収容の15%はマラリヤであるが、皆治療し又色々予防して今は一人もいない。年二百人位の新収容がある。土地が割合にないので仕事は少ない。愛生園式に開拓すればまだまだ開けるのであるがそれでも海岸から見ると相当広いバナナ畑が見える。
ボーイスカウトが20人居て私が最初のキャンプEに上陸すると両側に五間おき位にならび園杖で敬礼した。
林文雄 『世界癩旅行記』(1942年 癩予防協会発行)より抜粋
※カッコ内は補足、仮名遣いも変更しています。
STRUGGLE TO OVERCOME
PREJUDICE AGEINST LEPROSY
A MALAYSIAN SUCCESS STORY
J. J. RAJ(JR)(編)
Malaysian Leprosy Relief Association
2010年発行