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Topics 2017.5.29
ハンセン病療養所に生きる人びとの思いや生きざまを丁寧に取材し、話題となった高木智子さん(朝日新聞記者)の『隔離の記憶』の増補新版が出版されました(彩流社)。2011年に朝日新聞夕刊に連載された「ニッポン人脈記『隔離の記憶』」を大幅加筆して2015年に出版されたものに、さらに新しい要素が加えられています。 著者の高木さんからは、本サイトに、次のように増補新版についてのコメントをい...
Update 2017.5.17
21世紀直前まで、閉じられた歴史を歩んできたロシアと旧ソビエト社会主義連邦のハンセン病政策と療養所
Topics 2017.5.8
2017年3月31日(金)、4月1日(土)の2日間、中国・北京市にある蓬蒿(ポンハオ)劇場で、小牧義美さん(ハンセン病回復者・啓発活動語り部)、原田燎太郎さん(NPO 家 –JIA- 資源調達部)らによるチャリティー講演会がおこなわれました。 蓬蒿劇場は中国では数少ない個人経営の小劇場で定員は80名あまり。北京在住のアーティストが集うコミューン的な場所として知られ、各種ワークシ...
Update 2017.5.8
日本のハンセン病療養所では、子どもを産み育てることは禁じられていましたが、 戦後の宮古南静園では多くの夫婦が、それぞれに葛藤を抱えながら子どもをつくりました。 現在、南静園でボランティアガイドをつとめる知念正勝さんもそんな一人。 隔離政策の現実を目の当たりにし、理不尽な差別・偏見にあいながらも、 「ハンセン病は治る」という希望と、「社会に出るべきだ」という信念を あきらめること...
Update 2017.5.2
日本統治下の台湾での強制収容。敗戦による沖縄愛楽園への強制転園。 強いられた自給自足のための労働。治療の遅れによる病気の悪化。 長いあいだ生きる場所を選ぶことができなかった豊見山一雄さんは、疎遠になっていた家族との関係を取り戻すことによって、ようやく自らの意思でふるさとの宮古島に帰ってきた。 三つの療養所をまたぐ豊見山さんのライフストーリーには肉親の幸せを願うがために、肉親を遠...
Update 2017.5.1
「2001年5月11日、国賠訴訟の勝訴判決が出た日は、私にとって人間回復の誕生日ですよ」 今年でやっと16歳、と笑う上野さんのことばには、ほんのりと沖縄なまりがある。 石垣島に生まれ、学校の先生に憧れた少女時代。 夫、清さんと過ごした敬愛園での日々。 厳しく長かった国賠訴訟勝訴までの道のり。 90歳を迎えた上野さんの目に映る景色とは。
Topics 2017.4.26
2017年4月19日、世界保健機関(WHO)主催の国際会議において、WHOハンセン病制圧大使であり日本財団会長である笹川陽平氏が、長年ハンセン病制圧のために尽力してきたことに対して、マーガレット・チャンWHO事務局長から、“The WHO Medal”を授与しました。 “HEALTH FOR ALL”と刻まれたゴールドメダルを渡され、約400人の出席者からスタンディング・オベー...
Update 2017.4.24
日本最南端のハンセン病療養所である宮古南静園は、本土の療養所にはみられない苦難の歴史を歩んできました。 とりわけ、アメリカ軍上陸に備えて日本軍が駐留し、幾度も空襲に見舞われた戦時中は、多くの入所者が園を追われ、飢えとマラリアで亡くなっています。 医師として沖縄愛楽園と南静園にかかわってきた新城園長に、南静園の成り立ちや歴史とともに、沖縄本島と宮古島のハンセン病当事者の情況の違い...
Update 2017.4.18
「療養所の高齢化も進み、自治会の活動も先細りしていきつつある。交渉する力がなくなれば、将来構想もストップしてしまうでしょう。そうなる前になんとか道筋をつけておきたい。ここ2〜3年が勝負だと思っています」。 そう身を乗り出して語る星塚敬愛園自治会 会長、岩川さん。 日々精力的に関わっている自治会のこと、ふるさと屋久島の思い出、忘れえぬ人たちとの出会いと別れ。傘寿を迎えたいま、感じ...