ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Elimination

「宛名のない手紙」を読む 第三回

第三回 療養所の作家と書籍販売網

ハンセン病療養所で文芸活動に励んでいたひとびとは、自ら作品を書くだけではなく同時代の文学作品や古典にもよく目を通していた。所内の図書室に並ぶ文芸雑誌、文学全集等は、文芸活動が盛んだった時代の名残りだ。では、これらの書籍はどのようなルートを経て入所者の手元に届いたのだろうか。今回は療養所における書籍流通について取り上げる。

療養所内の図書室

 ハンセン病療養所内には大なり小なり図書室が設置されている。山下道輔氏らが中心となって運営していた旧ハンセン病図書館(1)のように、外部のひとの要望に応えて資料を提供する類の施設ではなく、入所者が読みたい書籍を購入し、貸し出す施設である。近年は利用者の減少にともない閉鎖してしまった療養所もあるが、園によっては週に数回、数時間だけ職員が開いて継続している。以前、菊池恵楓園の図書室を見学させてもらったことがあるが、文芸活動が盛んだった頃に創作活動をおこなっていた入所者がリクエストしたであろう文学全集や、文芸を通した外部とのつながりによって寄贈されたと思しき文芸誌などが書棚にあった。また時代小説や推理小説といった読物、各療養所の機関誌なども並んでいて、その蔵書群には入所者のその時々の読書傾向がうかがえるようで、とても興味深く眺めたものだった。
 ところで、これら図書室に配架された書籍は、どのような方法によって購入されたのであろうか。ささやかながらも出版で生業を立てている筆者は、関心を寄せずにはいられない。まだ書籍の入手方法について具体的な調査が進んでいないため、はっきりとしたことはわかっていない。これまで幾人かの入所者に質問をしてみたところでは、いくつかの購入ルートがあったようである。たとえば入所者が患者作業の一環で営んでいた園内売店が書籍を取り寄せるというルート。また化学療法の進展によって軽快した人が増え外出も比較的容易になってからは、外出の際に立ち寄った書店で購入することもあったようだ。親しい看護師や職員に購入を頼む方法もあった。
 このほかに療養所が存在する地域で経営する書店が配達していたケースもあったのではないだろうか。筆者は十数年前までハンセン病関連書籍を多数発行する出版社に勤務していたが、入所者自治会からの注文が、地域書店の外商部を通して入ってくることがあった。いまでは個人が経営する地域書店はほぼ壊滅状態であるが、かつては各地域の小さな書店が外商部を擁し、学校、役場、病院、企業、個人などから受けた注文を配達して回っていた。喫茶店や理髪店に置いてある週刊誌や漫画雑誌などの多くは、書店の外商担当者が定期的に配達していたのである(もちろん今も外商活動を継続している書店は存在する)。書店の外商部が療養所に通って配達していたのか詳細はわからないが、筆者の経験上、まったくなかったとは言えないと思っている。  日本における書籍の流通は、出版社から取次会社、取次から書店、書店から読者へというルートが通常のものである。現在はamazon をはじめとするネット書店が台頭し、自宅への直接配達やコンビニエンスストアでの受け取りなども可能となっている。また出版業界で「トランスビュー方式」(2)と呼ばれる、取次を介さずに出版社から書店へ直接書籍を届ける販売網もかなり広がってきた。出版流通は大きな変革期にあるが、1960年代にも書籍流通に大きな変革をもたらした販売会社があった。のちに株式会社ほるぷと改称する、株式会社図書月販である。

図書月販/ほるぷの出版流通

 株式会社図書月販は中森薪人によって創業された。1923年東京武蔵境の中森書店の子として生まれた中森は、敗戦後に東京大学に入学したが、レッド・パージと単独講和に反対する学生大会を無届けで開催したとして停学処分とされた。その後徳島県で高校教師をしていたが、家業を継いでいた義兄の死により書店業界へ足を踏み入れることになる。(3)そして平凡社の『国民百科事典』などを販売する図書月販を1964年に立ち上げた。百科事典ブームに乗って、創業9年目の1972年には全国に21支店、125の支社・営業所を構えるほどに発展している。(4)百科事典の代金は分割払い、契約すれば全巻が購入者の手元に届く割賦販売方式で、当時飛ぶように百科事典が売れたという。
この方法はもともと自社の百科事典を広く販売・普及するために平凡社が確立したものであった。販売組織をつくるために政財界の協力を得て1955年に「世界大百科をすすめる会」をつくり、翌56年に百科事典の普及部門が独立し株式会社富士図書となった。この過程で割賦販売方式が地方によって採用されていったという。この富士図書を吸収合併したのが図書月販であった。(5)  中森はつぎのような社是を掲げていた。

  1. HOLP(6)に依って、全国家庭に徹底的に良書を普及する
  2. 出版界を革新し良心的出版関係者を勇気づけ良書の製作普及を促進する
  3. 児童文学館の建設近代文学館学校施設への百科の贈呈等に依り陽の当たらぬ場所への良書の普及を目指す
  4. 働く者の生活と権利を保障しさらに広く社会進歩の影響力を行使出来るべき集団を作る

 この社是に示されている通り、中森は良書の普及によって日本の教育と文化を底上げすることを目指していたのである。そして出版社が発行する書籍を販売するにとどまらず、関連会社としてほるぷ出版を立ち上げ、日本近代文学館と協力して『名著復刻全集近代文学館』などを刊行していった。図書月販の最盛期をうかがうことができる小説がある。植木重一『小説図書月販 第一集 わが(業界における)青春の譜』(私家版、1977年)である。(7)昭和40年、H製作所工場の食堂前、昼休みにあわせて出店を広げて書籍を販売するシーンから、この小説ははじまる。図書月販のプロモーター(営業マンのことを図書月販ではこう呼んでいた)が口上を述べていて、人だかりができている。

  

 「さあ、並んで下さい、並んで下さい。前の人から順にお申し込みをお願いします」
 並ばない人には売ってあげませんよ、とでも云いたそうな顔で背広姿の男の一人が怒鳴った。詳しい内要(ママ)説明は要らなかった。さあ、並んで、並んで! というだけでもよかった。物珍しさも手伝ってか、連鎖反応をよんだのである。机の前にまたたく間に行列ができた。(中略)
 昼休み時間が終って、背広姿の男たちが数えてみると、その申込み伝票が、なんと、百セット近くもあった。みんなの頬がニコニコにくずれて、ひとりでに口許が綻んだ。
 「いやあ! 金額で百六十万もあらあ!」
(前掲植木『小説図書月販 第一集 わが(業界における)青春の譜』4~5ページ)

 このように図書月販ではさまざまな場所で出店を開き、あるいは訪問販売を行い、取次を介さずに高額なセット商品を売りさばいていた。当然、関連会社で発行する書籍は、ほかの出版社の書籍より利益率が高い。昼休みのわずかな時間で文学全集や百科事典が大量に売れるのだから、笑いが止まらないはずである。しかし割賦販売は売掛金の回収がむずかしいという問題も内在していた。回収の難しさを考慮に入れなければ、伝票にサインさえもらえばプロモーターの営業実績になるという落とし穴がある。数字をあげるために強引な営業をおこなうプロモーターもいたはずで、それは社にとって長い目で見ればマイナスとなってしまう。割賦販売は画期的な販売方法ではあったが、売掛金回収をめぐるトラブルが生じることもある、もろ刃の刃でもあった。急速に成長したほるぷの業績にも翳りが差しはじめ1980年代には経営難に陥り、1999年に自己破産するに至った。
 長々とほるぷによる書籍販売の事情を記してきたが、これまで記したように勢いに乗っていたほるぷのプロモーターたちは、書籍が売れるところならどこへでも足を運んだ。ハンセン病療養所であっても例外ではなかった。

商売人の論理

 島比呂志主宰の文芸同人誌『火山地帯』の同人だった風見治のエッセイ「ふりかえって 父を――詩集「父型」に寄せ-―」(8)は、ほるぷのプロモーターとの関係が垣間見える珍しい文章だ。このエッセイにほるぷの西田氏なる人物が登場する。西田氏は『火山地帯』を紹介している記事が載っている毎日新聞を持参してきたという。風見との話題が、セールスだけに偏らぬよう気を回していたことがうかがえる。まことに書籍の営業マンらしい気遣いだと筆者は思う。風見本人に以前お話をうかがったところ、ほるぷのプロモーターとは一時期付き合いがあったという。島のところへ営業に訪れ風見を紹介されたという。ほるぷからは百科事典を購入したそうだ。(9)
 エッセイにも書かれている通り、当時風見は父親と息子の関係を書いてみたいと取り組んでいたが、書き上げた原稿に納得がいかず何度も破り捨てていた。そこで営業でさまざまな家庭に出入りしている西田氏に父親と息子の関係についてヒアリングを行い、作品のヒントを得ようとしていたのだ。作品に結実したのかわからないが、書籍販売の営業マンを主人公にした短編小説「ブラック・ホール」を『火山地帯』第38号(1979年4月)に発表している。
 この作品の主人公は、自衛隊基地のある市の中心街にオフィスがある「Mという書籍販売網の一販売員」の中口だ。中口は商店街、自衛隊の官舎、学校、官庁、保育園や一般家庭まで、市内のあらゆるところへ足を運んでいる。ある日、中口は支店長から市にあるハンセン病療養所「全恵園」へ営業に行ってみないかと持ちかけられる。「最近はこしきもえらく金をもっているらしいぞ」と支店長は言う。「こしき」とはこの地方独特のハンセン病患者を指す呼び方と作中では説明されている。中口は少年の頃、市内でハンセン病患者を見かけたことはあり、差別語である「こしき」は子どもたちの喧嘩の際に用いられた。
 ハンセン病に「とくに関心をもったことはなかった」が、中口は「金がありさえすれば販路の拡張は可能のはずだ」と考え、さっそく全恵園へ向かった。支店長のアドバイスに従い「全恵園患者自治会事務所」を訪問した中口は、「売店に注文してよく本を買っている」歌人の諸星を紹介される。ハンセン病への恐怖心を抱きつつも売り上げへの欲求に追い立てられ諸星の寮舎を訪ねた。50才にしては童顔の諸星は、突然の訪問にもかかわらず中口に「人なつっこい笑顔」を見せる。出されたお茶を飲みカタログを見せながら書籍の説明をすると、諸星は「金はあるから買ってもいいですよ」と15万円もする「日本の詩歌全集」を購入する約束をした。
 自治会会長は曲がった指を中口に隠そうともせず来訪者慣れした応対をし、鼻梁が陥没している諸星も笑顔を向けてくる。市では「こしき」という蔑称で呼ばれている彼らの態度は、中口に混乱をもたらす。セールストークとはいえ自分は諸星を「先生」と呼んだのだ。中口を「見下しているような態度」を取る入所者たちに反発を覚えながらも、販路の拡張を狙って諸星の寮舎へ入りびたるようになる。諸星ははじめて全恵園に来るときは恐ろしいと思ったでしょうと問いかけ、中口はためらいがあったことを酒の勢いを借りて吐き出した。諸星は「金の力というのは怖いですねえ」と返す。彼にとって金を増やすことは魅力ではなく、国から「もらった金をいかによく使うか」のほうが大事なのだ。
 この作品は金欲にかられて療養所を訪問した中口が、入所者たちと交わりながらもなかなか偏見を払しょくできず、諸星の心を傷つけ優越感を得ようと画策するものの、したたかな諸星の振る舞いに果たせずに終わる。療養所にさまざまな商売人が出入りをはじめ、「資本主義社会」を生きる彼らと、社会的には「非生産的存在」であるしかない入所者とのすれ違うさまを、風見は描いてみたのだろうか。ほるぷの西田氏はいったいこの作品をどう読んだのか、できることなら聞いてみたいものだ。

註釈

(1)旧ハンセン病図書館については、山下道輔著・柴田隆行編『ハンセン病図書館 歴史遺産を後世に』(社会評論社、2011年)を参照のこと。図書館の蔵書は国立ハンセン病資料館に収められ、国立ハンセン病資料館編『ハンセン病図書館旧蔵書目録』(日本科学技術振興財団、2010年)が発行されている。山下氏がいかに幅広い視野で書籍を収集していたか、この詳細な目録が語っている。
(2)2001年に創業した出版社・トランスビューが作り出した販売方法。トランスビューが契約した書店との間で直取引のルートを開拓した。取次を間に挟まないため注文した書籍の納品スピードが格段に早く、出版社・書店双方にとっても取引条件がよい。取次の配本制度に頼らない注文方式で、返品率が10%台という驚異的な数字をたたき出した。くわしくは石橋毅史『まっ直ぐに本を売る ラディカルな出版「直取引」の方法』(苦楽堂、2016年)を参照のこと。
(3)南原繁「新しい人間像と国家像―若い世代の人びとへ」中森薪人『ほるぷの意義 中森薪人講演集1』(株式会社ほるぷ総連合、1972年)所収。
(4)前掲『ほるぷの意義』「はじめに」を参照。
(5)前掲『ほるぷの意義』106~108ページ。
(6)HOLPはHOME LIBRARY PROMOTION(家庭の図書室づくり)を意味する。
(7)著者の植木は図書月販に勤めた経験をもとに小説を執筆した。第二集(1977年)のあとがきによれば、原稿用紙で600枚の分量があるという。植木は第五集まで発行するつもりだったようだが、第二集までしか確認できていない。
(8)『火山地帯』第32号、1977年10月。
(9)2014年9月12日、風見治氏聞き取り。

佐藤 健太(さとう けんた)

佐藤 健太(さとう けんた)

大学1年生のときに佐藤真監督のドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』を観て水俣病問題と関わるようになり、病と社会の関係に興味をもつ。大学院で群馬県の草津温泉にあったハンセン病者の集落「湯之沢部落」の研究に取り組む。大学院修了後、皓星社に入社し、ハンセン病に関する書籍を数点担当。現在、フリーで出版の営業や編集をするかたわら、東京と静岡を拠点に「ハンセン病文学読書会」を主宰している。共編著に『ハンセン病文学読書会のすすめ』(2015、非売品)、共著に『ハンセン病 日本と世界』(工作舎、2016)がある。『ハンセン病文学読書会のすすめ』『ハンセン病を学ぶためのブックガイド』(工作舎、2016、非売品)をご希望の方は下記のメールアドレスにご連絡ください。
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