ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Elimination

Leprosy Sanatoriums & Resource center in Japan / 日本のハンセン病療養所・資料館

Matsuoka Hoyoen

松丘保養園

青森県

豪雪地に位置する
日本最北端の療養所

1909(明治42)年、東北六県および北海道の連合立として、「第二区道県立北部保養院」の名称で設立。当初は油川村(現青森市)に90床の隔離病舎で患者収容を始めたが、同年10月1日に現在の地に庁舎が完成し、移転した。1941(昭和16)年に厚生省に移管され、国立療養所松丘保養園と改称した。

日本で最北端に位置する療養所であり、冬には2メートル以上もの積雪に見舞われるため、かつては入所者による除雪作業が欠かせなかった。収容患者数のピークは1958(昭和33)年の950床で、その後入所者数は次第に減少。2016年9月現在の入者数は90人を割り込んでいる。

春には園入口の樹齢100年を超す桜並木の景観が、秋には敷地周辺のたくさんの栗の実りが、周辺地域の人びとを喜ばせている。いずれも入所者によって植えられたものである。地域社会に役立ついっそう開かれた場となるべく、将来構想も進められている。

国立療養所 松丘保養園のあゆみ

  • 1909年(明治42年)

    東北六県および北海道の連合立として、「第二道県立北部保養院」の名称で設立。当初は油川村(現青森市)に開設、その後まもなく現在の地に移転。

  • 1941年(昭和16年)

    厚生省に移管され、国立療養所松丘保養園と改称。

国立療養所 松丘保養園

http://www.nhds.go.jp/~matuoka/

〒038-0003
青森県青森市大字石江字平山19
Tel. 017-788-0145 / Fax. 017-788-0148

アクセス:

  • ・JR新青森駅南口から1.5km。徒歩約15分。タクシーで5分。
  • ・東北自動車道青森インターチェンジから約3km、約6分。
  • ・青森空港から約14km、タクシーで約20分。

View Points

View Points of Matsuoka Hoyoen

  • 雪景色

    松丘保養園は、青森県内でも屈指の豪雪地帯に位置します。冬は敷地の全面が雪に覆われ厳しい環境に一変します。積雪量は近年、減少傾向にありますが、いまでも2メートルほどは積もり、春先もまだ雪の降る日があります。「らい予防法」による隔離政策が厳しかったかつては、過酷な除雪作業も入園者の仕事とされていました。

  • 桜並木

    松丘保養園の入口の門から管理棟へと続くエントランスは、見事な桜並木が整備されています。これらの桜のほとんどは、1909(明治42)年の松丘保養園開設後まもなく入園者たちによって植えられたもので、樹齢100年を超えています。枯死してしまった木も多く、園では新たに苗木を植えて桜並木の維持につとめています。

  • 弥広神社と中條資俊先生之像

    弥広神社は、1938(昭和13)年、入園者たちの心のよりどころをつくるという目的で創建されました。敗戦後、GHQの方針により解体されましたが、1970(昭和45)年、全国敬神婦人連合会の働きかけによって再建されました。弥広神社の鳥居の傍らには、「北部保養院」時代に院長をつとめ患者たちから慕われた中條資俊氏の胸像が設置されています。

  • 納骨堂

    松丘保養園の開設後、しばらくのあいだ、入園者の遺骨は敷地内の片隅に埋葬されていました。その後入園者が自分たちで初代納骨堂を築きました。現在ある納骨堂は1990年につくられた三代目となります。納骨堂の傍らには、「生まれる事が出来なかった子供達の慰霊」「病理標本の慰霊」と刻まれた慰霊碑が立てられています。

  • 旧火葬場跡および
    松丘慰霊の塔

    「火葬場跡」は日本のハンセン病療養所のほとんどに見られる独特の歴史的遺跡です。納骨堂の存在と合わせて、「亡くなっても故郷に戻ることができない」という、ハンセン病の患者や回復者の方々が置かれていた境遇を象徴するものです。また長いあいだ火葬にともなう仕事は患者作業とされていました。松丘保養園では旧火葬場跡に慰霊碑が建立されています。

写真で見る「国立療養所 松丘保養園」