ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Eliimination

世界のハンセン病療養所

南米大陸の北西部。日本の約3倍の面積と人口4800万人の国コロンビア。
16〜17世紀のスペインによる征服とその後のアフリカからの奴隷貿易を経て、ハンセン病が広がったとされている。北部カリブ海に面したカルタヘナ沖のティエラボンバ島に1791年に開設された最初の施設(カニョ・デ・オロ)の収容者はすべてアフリカ系の人々であった。ハンセン病は通商ルートに沿って広がり、危機感を抱いた政府は1833年に隔離政策を決定。1835年に首都ボゴタの北方320キロの地にコントラタシオン療養所を、1871年には首都ボゴタの南にアグア・デ・ディオス療養所を開いた。

アグア・デ・ディオスは首都ボゴタから110キロ。スペイン時代からの古い街トカイマを過ぎてボゴタ河を渡った対岸に位置する。昔から癒しの効果があるとされた温泉があるため、アグア・デ・ディオス=「神の水」の地とよばれ、治療効果を期待してトカイマにはハンセン病者も集まっていた。患者の増加に危機感を抱いた政府は、1870年アグア・デ・ディオスの土地を購入し、翌1871年、患者隔離のための療養所を開設した。

当初の運営はカトリック修道会の奉仕によっていたが、1905年以降は政府保健省の直轄管理となり、医療施設等の整備が進んだ半面、療養所は有刺鉄線で囲まれ、政府・入所者双方の警備隊による厳しい監視体制がすすめられた。1907年には療養所専用の通貨が作成されるなど、外部と隔絶した療養所社会が生みだされていった。

しかしすべての患者の絶対隔離は財政上の限界もあり現実的には困難であった。1932年には隔離対象の一部が見なおされ、軽症患者の外来治療も可能となった。1946年の報告書は、隔離政策下であるにもかかわらず、療養所内には患者と非患者(児童を含む)が交じり合って住んでいるのが現実であり、感染の防止-特に児童の-が急務であると、療養所運営の問題点を指摘している。当時2530人を数えた児童の対策として、カトリック教会は、児童患者の施設や非感染児童のための男女別の寄宿学校などを次々と療養所内に開設していった。

1961年、薬剤による治療が普及し始めたことを受けて、隔離法が廃止された。入所者には憲法の定めるすべての権利が保障され、土地も住民に所属することが認められ、隔離療養所は解消した。その2年後の1963年、アグア・デ・ディオスは一地方自治体として独立した。隔離は解消されたが、介護を要する元患者のための療養施設は3か所継続して運営されている。

アグア・デ・ディオス ハンセン病療養所

http://leprosyhistory.org/geographical_region/country/colombia

コロンビア
設立年
1871年
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療養所の中央通り(1905年)

小説「なげきの橋」

  • 1791年

    カニョ・デ・オロ収容施設開始(1950年閉鎖)。

  • 1833年

    ハンセン病を問題疾患として対応強化。入所施設の開設決定。

  • 1835年

    コントラタシオン療養所開設。

  • 1871年

    アグア・デ・ディオス療養所開設。

  • 1890年

    法律第104号 ハンセン病患者の完全隔離と非患者(家族等)との接触禁止。

  • 1901年

    入所者と外部との接触を断つため有刺鉄線の設置と警備強化。

  • 1905年

    政府直轄管理(政府及び療養所入所者による警備隊組織)。

  • 1907年

    法律第14号 療養所内に独自の法令-園内通貨、飲酒、治療、手当等の規則。

  • 1911年

    ハンセン病患者の強制収容法発効。

  • 1932年

    法律32号-強制隔離対象を開放性患者に限定。外来治療への可能性を開いた。

  • 1961年

    法律第148号 ハンセン病患者強制収容法廃止。

  • 1963年

    アグア・デ・ディオスとコントラタシオンはそれぞれ独立した地方自治体となった。

  • 2011年

    法律第1435により、独立した自治体アグア・デ・ディオス市の歴史を物語る16の建造物が「国の歴史的・文化的遺産」に認定された。これを受けて、アグア・デ・ディオス市の歴史・遺産観光都市としての将来構想が生まれた。

①「ため息の橋」(Puente de los suspiros)

トカイマの街はずれ、ボゴタ河にかかる吊り橋で、ここを渡りアグア・デ・ディオスに続く道が始まる。隔離収容される患者と家族が別れを嘆き悲しんだ場所として歴史を象徴する橋。吊り橋が出来る前には、河に渡したロープに吊り下げられた「籠」で河を渡る写真も残されている。老朽化のため2015年には近代的な橋が隣接して建設されたが、「ため息の橋」は歴史的建造物として指定保存されており、アグア・デ・ディオスの歴史を象徴するものとして絵画や小説に描かれている。

②「ルイス・カルボ博物館」Luis Antonio Calvo (1882-1945)

コロンビアが誇る最も有名な作曲家の1人。1916年にハンセン病と診断されアグア・デ・ディオスに収容されたが、園内に家屋をもち数々の優れた作品を残し、演奏活動も続けた。死後、その住居はルイス・カルボ記念館として公開されている。

③「医療博物館」

1918年から療養所時代の医療の中心であった建物は歴史的遺産と認定され、「医療博物館」の名称でアグア・デ・ディオスとハンセン病の歴史博物館として整備公開されている。

④「ヴァリアラ神父記念館」(1875-1923)

生涯の大半をアグア・デ・ディオス療養所の人々、中でも児童患者及び非感染児童の保護と育成に尽くし、人々に深く敬愛されたカトリック聖職者の記念館。神父は2002年ヴァチカン(ヨハネパウロ2世)により列福された。

⑤「コルソハンセン博物館」

アグア・デ・ディオス療養所の出身者と家族を中心とするハンセン病当時者組織コルソハンセンが、自らの歴史を後世に残すために創設した手作りの歴史館。コルソハンセンの事務所の一部を展示場にして、療養所での生活を物語る通貨、道具類、写真の数々を展示公開している。

145年にわたるアグア・デ・ディオスの歴史は多彩な人物を生んでおり、そのすべてと成果を紹介することは不可能だ。前出の作曲家ルイス・カルボ、聖職者ヴァリアラ神父の他に次のような人物・グループがある。

活動家

ハイメ・モリナ・ガルソン Jaime Molina Garzon(1947-)

ジャーナリスト、ハンセン病回復者。「Plumas de Poder」(ペンの力)という一般政治社会情報紙を毎月発行し、主筆として記事を書く。2001年からハンセン病当事者とその子孫による「コルソハンセン」の組織化につとめ、2003年にNGOとして登録。ハンセン病回復者及び家族・子孫の生活と権利の向上を目指して活動を展開。同時に当事者と家族による写真・資料・道具類の蒐集をはじめ、コルソハンセン博物館を開館した。

パトリシア・デヴィア・アンヘリータ Patricia Devia Angelita (1962-)

アグア・デ・ディオス第2世代。大学を卒業しビジネスを始める傍ら、ハンセン病の患者であった第一世代である両親の名誉回復、アグア・デ・ディオスの歴史の再認識と名誉回復、生活と権利の向上を目指し、ハイメ・モリナ・ガルソン氏とともに当事者組織「コルソハンセン」の創設に関わる。その後、「第2世代と芸術の会」を組織してアグア・デ・ディオスの絵画芸術活動を育成。市当局による「医療博物館」の企画に当事者家族としての立場から参画するなど、公私ともにアグア・デ・ディオスのハンセン病の歴史の再評価と、歴史観光都市としてのアグア・デ・ディオス市の可能性、将来構想にも意欲的にかかわる。現在、同市の歴史保存と構想の最も先鋭的な活動家。国際的な舞台でもコロンビアのハンセン病の歴史を当事者の視点から発信している。

音楽家

ルイス・カルボ Luis Antonio Calvo (1882-1945)

作曲家・演奏家
前出。

アルマンド・ロドリゲス・ヒメネス Armando Rodriguez Jimenez (1937-1997)

作曲家
アグア・デ・ディオス市の聖歌を作曲した。

画家

カルロス・ヴァルガス Carlos Vargas 

カルロス・ムノス・ジョルダン Carlos Munos Jourdan

ヴィクトール・マヌエル・ブルゴス Victor Manuel Burgos(1942-2012)

アグア・デ・ディオスを多彩な色使いで表現した個性的な絵を多数残した。

ホセ・マリア・ジルベルト・ザモーラ Jose Maria Gilberto Zamora

豊かな色彩の絵を多数残している。

ホセ・アンヘル・アルフォンソ Jose Angel Alfonso

プリミティヴ技法の多彩な絵を残した。

著作家

アドリアノ・パエズ Adriano Paez(1844-1891)

政治家、著作家。パリを含む各地で活躍。最後はアグア・デ・ディオス療養所で終えた。著作「A Trip to the Country of Pain」(苦悩の国への旅)

アドルフォ・レオン・ゴメス Adolfo Leon Gomez(1857-1927)

政治家、著作家。療養所内に劇場を創設した。著作「A City of Pain」(苦悩の街)

チェリータ Cherita(1932-2015)

詩人。詩集「The Train to Exile」(追放列車)

コロンビア共和国の一地方自治体となってから50年あまり。小高い丘に囲まれた水豊かな地方の小都市となったアグア・デ・ディオス市。人口は1万3000人。その大半はハンセン病の回復者とその子孫からなっている(回復者2800人の内245人は、高齢で介護を要するため現在も施設に入所)。これといった産業もなく経済的には立ち後れており、ハンセン病者の街という記憶を拭い去ったとは言えないこの街の将来はどうなるのだろうか。

ハンセン病療養所に端を発したアグア・デ・ディオスには、第2、第3世代を中心に、この土地の歴史や自らのルーツを知り、それを新たなエネルギーとして未来を構築しようという動きが見られる。地方の小都市ながら4つの歴史博物館を持ち、「アグア・デ・ディオスの子孫たち」を名乗りつつ、積極的に歴史を公開することを通して、この街と住民の個性と魅力を国内外に発信する努力を続けている。世界にはアグア・デ・ディオスと同様に、ハンセン病の過去をもつ街や地方がいくつもある。アグア・デ・ディオスは、自らもハンセン病第2世代であるという市長を中心に、歴史と向き合い、豊かな自然環境と組み合併せることにより、個性的な観光産業を生み出して一つの成功モデルとなってほしい。

ハンセン病者に対する隔離は19世紀後半から20世紀前半にかけて、世界の各地にその足跡を残した。アグア・デ・ディオスの歴史保存に熱心な人々が期待するように、そこには国・地域ごとに独自性があると同時に「連続性」が認められる。国境を越えた「連続性」に基づいてユネスコ世界遺産条約対象の認定を目指すことが、この街の歴史に新しい展望を拓くことになるのかもしれない。

市内にある16の保存指定対象建造物

空からみたアグア・デ・ディオスの街

「アグア・デ・ディオスの子孫―芸術文化」展に集まった第2世代の人々。向かって左から二人目がパトリシア・デヴィアさん。