ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Elimination

The Documentary / ハンセン病の現場にレンズを向けて

vol.7

Switwerland

もうひとつの現場、外交都市ジュネーヴ

50年に渡り、約70か国のハンセン病の専門病院や療養所を訪ね歩いたWHOハンセン病制圧大使の笹川陽平さん。
笹川さんには毎年通う“もうひとつの現場”があります。それは、数多くの国際機関が集まるスイス・ジュネーヴ。
世界各国の保健大臣やWHO関係者が集まる外交都市で、
ハンセン病問題を解決するため尽力する笹川さんにレンズを向けました。

本編 27分07秒

ハンセン病対策の国際的“司令塔”

世界に点在する数多くの現場を訪問し、ハンセン病患者や回復者のおかれた窮状を目の当たりにしてきた笹川さん。その豊富な知識をいかし、世界のハンセン病問題を解決するための指揮をとっています。WHOの担当者や各国の保健大臣は頻繁に入れ替わるため、笹川さんほど長く深くハンセン病と向き合ってきた人はいないのです。
解決すべき問題は大きくふたつ。「医療体制の強化」と「社会的差別の撤廃」。ハンセン病は他の病気とは違い、たとえ治っても患者は差別に苦しめられます。また、現在はほとんどの国でハンセン病の制圧が達成されたものの、僻地や離島など医療の手が届きにくい地域では統計上に表れない患者がたくさん存在します。そうした“隠れた患者”を早期に発見し治療するため、そしてハンセン病に対する差別をなくすため、WHOや各国政府に的確なアドバイスを送って問題解決へと導く。それが笹川陽平さんの担う仕事です。

keypersons

  • 笹川良一さん(日本財団初代会長)

    笹川陽平さん(WHOハンセン病制圧大使/
    日本財団会長)

    国際機関と「ササカワ」の間に築かれた強い信頼

    笹川陽平さんはWHOや国際連合欧州本部を訪れると、世界各国の関係者から次々に握手を求められます。長年ジュネーヴに通いつめてハンセン病対策の指揮をとっているため、「ハンセン病と言えばササカワ」と言われるほど広くその名が知られているのです。その強い信頼関係は、陽平さんとその父親である良一さん(日本財団初代会長)によって築かれました。
    きっかけとなったのは、1975年に良一さんが提供したWHOへの助成金です。かねてからハンセン病問題に強い関心を寄せていた良一さんは対策の強化を図るため、約100万ドルを提供しました。(そのお金はWHOの意向で天然痘撲滅のために使われ、感染症として世界初の撲滅に成功しました)そしてその貢献は金銭面だけではありません。1987年、WHOがハンセン病の予防ワクチンを開発していた時のこと。試作段階のワクチンにどのような副作用があるかわからない状況にもかかわらず、良一さんはその実験台となりました。ハンセン病で苦しむ人をひとりでも減らすため、自らの身体を人体実験に差し出したのです。96歳でその生涯を終えるまで世界の現場へ足を運び続け、患者や回復者を激励しました。
    この“現場主義”は、息子の陽平さんに受け継がれます。1995年からの5年間、陽平さんはハンセン病の治療薬を全世界に無償で配布。各国の医療施設に直接足を運び、薬が行き届いているかをチェックしてきました。またハンセン病への差別をなくすため、2003年から国連に協力を要請します。約7年の月日をかけて尽力した結果、国連総会において「ハンセン病患者・回復者およびその家族に対する差別撤廃決議」が、192の国連全加盟国の全会一致で採択されました。
    まさに世界を股にかけた、笹川家二代にわたるハンセン病との戦い。それはハンセン病で苦しむ人々がいなくなるまで続きます。

Staff Credits

総合演出:浅野直広 / ディレクター:石井永二 / プロデューサー:浅野直広、富田朋子 / GP:田中直人 / 海外プロデューサー:津田環
AD:松山紀惠、浜田玲 / 撮影:西徹、君野史幸 / VE:岩佐治彦 / 音効:細見浩三 / EED:米山滋 / MA:清水伸行
コーディネーター:木村ひろみ、堀みさこ / リポーター・日本語版ナレーター:華恵
制作:テレビマンユニオン