People / ハンセン病に向き合う人びと
朝露に濡れた初々しい蕾の蓮。
妖艶なまでの色香を湛えて咲き誇る蓮。
空ろとなって首を垂れていく枯れ蓮。
加藤健さんが長年にわたって撮り続けた蓮の写真は、
生命の諸相を丹念に映し出す稀有な記録として、
見る者の心に静かに沁みとおってきます。
その代表作とともに、健さんの思い出語りをお送りします。
Profile
加藤 健氏
(かとう けん)
1927(昭和2)年生まれ。現在駿河療養所で妻の博子さんと暮らしている。蓮に魅せられて数多くの写真を撮影。2000年に写真集『蓮物語』を、2003年に『蓮物語Ⅱ』を刊行。蓮の写真は国立ハンセン病資料館でも常設展示されている。
左から「蓮池の朝」「こころの花」「水面讃歌」
*本稿の蓮の写真のタイトルは、すべて加藤博子さんによるもの
上から「蓮池の朝」「こころの花」「水面讃歌」
*本稿の蓮の写真のタイトルは、すべて加藤博子さんによるもの
カメラはペンタックス、昔の大きくて重いカメラだよ。自分でパジェロを運転して、夜明けに出発して朝7時から8時半くらいまで撮る。蓮は人間の背丈くらいあるから、六段くらいある脚立を使う。望遠は使わない。花にぐっと近寄って撮る。
左から「無垢」「密林の中で」「たけゆく」
上から「無垢」「密林の中で」「たけゆく」
原(沼津市)に蓮の寺があるんだ。五右衛門風呂みたいにでっかい蓮の鉢がいっぱい置いてあって、いろんな国から来たいろんな蓮がある。日本にはない紫の蓮なんかもある。撮影はもっぱらそこだよ。蓮池と違って、蓮に近づくことができる。
左から「明暗」「散華」「深海に咲くように」
上から「明暗」「散華」「深海に咲くように」
「なんで蓮ばっかり追いかけてるんだ」っていちばんよく聞かれるな。俺は蓮ばっかりじゃなくて、富士山も薔薇も撮るよ。でも蓮はやっぱり、あんまりきれいだからさ。蓮は一年中いないんだから。半年は池の中にいて、5月ごろからぼちぼちでてきて、花に逢えるのは6月、7月、8月半ばくらいまでかな。それをすぎるとみんな萎れて水の中に入ってしまう。そうしたら次は来年まで待つしかない。
左から「与える者」「裂」「迷」
上から「与える者」「裂」「迷」
この写真、おもしろいだろ。葉っぱがみんな虫に食われちゃったんだよ。堅い芯だけ残って、傘を広げたみたいだろ。こういう写真は狙って撮れるものじゃないよ。みんな「よくこんな写真を撮れましたね」っていうけど、ぜんぶ自然現象だからな。
左から「万化の生」「投影」「うつ伏せの折れ蓮」
上から「万化の生」「投影」「うつ伏せの折れ蓮」
8月、9月になって花がなくなってくると、今度は枯れ蓮。蓮はきれいな花ばっかりじゃないんだよ。枯蓮もずいぶんたくさん撮ってきた。この虫は、体いっぱいに朝露を付けてじっと枯れ蓮を抱っこしてた。わあ、すごいなと思って近づいたけど、逃げないんだよ。それじゃ、ひとつ撮ってやるかって言って、バシャッと撮った。俺の写真を見て、白とか赤の花よりも、枯蓮のほうが好きだって言ってくれた人もいたな。
霜月の朝の滴を纏ひたる殿様飛蝗の生命(いのち)ひたすら
(加藤博子)
左から「蓮葉にたまる水」「立ち上がる一輪」「秋の夕日」
上から「蓮葉にたまる水」「立ち上がる一輪」「秋の夕日」
「写真家の方から見たら、乱れて整わない葉や花の姿かも知れません。けれど、九十九匹の羊より痛み悩み迷える一匹の羊、そこへ目を向けた主人の美意識を喜びます。人はそれぞれ波乱万丈の人生を生きていると思います。主人もまたそうです。それ故にこそ、言葉では表せない蓮物語なのです。老いも死もいずれ訪れます。そんな中でどう老いて、どう死んでいくのか人間の共通した問題です。ともに共生の中でわかち合いながら生きられたらと思います」。
健さんの『蓮物語』に寄せた、妻の博子さんのメッセージ
取材・編集:太田香保 / 撮影:川本聖哉 / 協力:山口和子