ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Elimination

The Documentary / ハンセン病の現場にレンズを向けて

vol.14

Vatican

“人間”として生きるために

『聖書』では、ハンセン病を患った者は“汚(けが)れた者”とされてきた歴史があります。(レビ記13章45-46)
同じ“人間”として扱われず、いつの時代もどこの国でも徹底的に差別されてきました。
悲惨な歴史をこれ以上繰り返さないために。
回復者はローマ・カトリックの総本山ヴァチカンを訪れ、自らの声で差別撤廃を訴えました。

本編 28分19秒

“負の歴史”を動かした回復者の声

2013年6月。現ローマ教皇フランシスコが、聖職者の育成機関「教皇庁聖職者アカデミー」である発言をしました。
「出世主義は、教皇制度におけるハンセン病だ。出世主義はやめましょう」
教皇は過度な出世主義を批判する際に、「ハンセン病」という言葉を差別的な喩えとして使ったのです。この発言は国際社会に大きな波紋を呼びました。にも関らず、教皇はその後も二度に渡ってハンセン病を悪い喩えに使用。カトリックの最高指導者でさえ差別的発言を繰り返すのです。
『聖書』の普及とともに広まった差別意識は、社会に広く、そして根深く浸透してきました。
患者・回復者は「レパー」(「らい病者」の意、差別語)の烙印を押され、ハンセン病が治る病気になった今でも、偏見やスティグマに苦しめられています。
今回、笹川さんは宗教界を巻き込み、ヴァチカンで初となるハンセン病の国際シンポジウムを開催。世界中から集まった回復者たちは、自分の人生を語りました。

keypersons

  • 「私たちは、皆と同じ色の血が流れる“人間”です」

    ホセ・ラミレス・ジュニアさん (回復者)

    ラミレスさんは20歳でハンセン病と診断されました。敬虔なカトリック教徒の母親は、息子が自分の身代わりに神罰を受けたと考えました。自分の体にすがりつき、泣きながら許しを乞う母親・・・その時の光景は、一生忘れることはないと語ります。
    ラミレスさんは、当時アメリカ本土にただ一つあったハンセン病隔離施設・カーヴィル療養所に入所します。移動手段は霊柩車。「救急車は生者のため、霊柩車は死者のため」と、生きながらにして“死んだ人間”とされたのです。
    療養所生活で最も辛かったのは、家族や婚約者に会えないこと。婚約者のマグダレナさんはフェンスの外からラミレスさんの帰りを7年間待ち続けました。入所中に交わした手紙の数は数千通にも上ります。
    その後、ラミレスさんはハンセン病を完治させて退所。マグダレナさんと結婚します。現在はハンセン病専門誌『ザ・スター』の編集長を務め、患者・回復者の声を世界に届ける役割を担っています。ラミレスさん自身も、自分が回復者だと言えるまで時間と勇気が必要でした。療養所が閉鎖し、かつての入所者も高齢化する今、当時を知る貴重な語り部として世界中を飛び回っています。

  • 回復者が尊厳ある生活を送ることができて初めてハンセン病は治ったと言えるのです」

    P・K・ゴパールさん (回復者)

    ゴパールさんは12歳でハンセン病に罹りました。当時、インドではハンセン病について知識の無い医者が多く、治療薬がなかなか手に入りませんでした。治療法が分からず、途方にくれる闘病生活が7年以上も続きます。「この子の人生もお終いだなぁ…」と呟いた父親の言葉には、胸が張り裂ける思いがしたそうです。
    完治後、ゴパールさんは大学を卒業し、社会福祉士の修士号も取得しました。勤務先のハンセン病病院ではメンタルケアやリハビリを専門とし、患者のケアに没頭します。
    やがてゴパールさんは、職場で目にした問題を解決するため、病院を退職。インドで初となる、回復者の全国組織「ナショナル・フォーラム」(後のAPAL)を設立しました。
    長年に渡るハンセン病への支援活動は高く評価され、2012年にはインド政府から国民栄誉賞(パドマシュリ賞)を授与されました。現在も自らが先頭に立ち、患者・回復者の社会的地位向上のため、日々闘っています。

Staff Credits

総合演出:浅野直広 / ディレクター:松山紀惠 / プロデューサー:浅野直広、富田朋子 / GP:田中直人
海外プロデューサー:津田環 / AD:渡辺裕太 / 撮影:西徹 / VE:岩佐治彦 / 音効:細見浩三
EED:米山滋 / MA:清水伸行 / コーディネーター:パオラ・ブルーノ / 翻訳:平野加奈江、貫名由花 / 日本語版ナレーター:華恵
制作:テレビマンユニオン