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Update 2017.11.7
運送業の仕事をするかたわら、相撲や柔道にも打ち込んだ青年時代。 強面(こわもて)の風貌、反骨心あふれる物言い。 そんな屋さんは、光明園にやってきてからも 異端の存在として知られていたという。 それから30有余年。「異端者」は、療養所の自治会長となった。 その間に、いったいどのような変化があったのだろうか。
Update 2017.10.26
石山春平さんは、ハンセン病の後遺障害に負けず、 早々に社会復帰を果たして、三人の子どもの父となった。 第1級障害者でありながら自動車運転免許を取得し 地域のさまざまな身体障害者のための活動に従事しながら、 ハンセン病問題の啓発活動に取り組んできた。 石山さんの波乱万丈の道のりには、負けん気とユーモアと、 「愛の力」がいつも人一倍あふれていたようです。
Update 2017.8.29
『ハンセン病療養所を生きる−隔離壁を砦に』、『倶会一処―患者が綴る全生園の七十年 』、『語り継ぐハンセン病―瀬戸内3園から』、『神谷美恵子—島の診療記録から』、『癩者の憲章−大江満雄ハンセン病論集』の5冊を追加しました。
Update 2017.8.22
2014年3月。22歳だった華恵はリポーターとしてハンセン病の現場に足を踏み入れました。 「ハンセン病について、ほとんど何も知らない」。それは、今この画面の前にいる多くの人と同じかもしれません。そんな状況で始めた取材は、驚き、戸惑い、悩むことの連続でした。しかし彼女は2年半に渡って足繁く現場に通い、ハンセン病の患者・回復者と真摯に向き合いました。 ハンセン病の現場で出逢った人々...
Update 2017.8.22
『聖書』では、ハンセン病を患った者は“汚れた者”とされてきた歴史があります。(レビ記13章45-46) 同じ“人間”として扱われず、いつの時代もどこの国でも徹底的に差別されてきました。 悲惨な歴史をこれ以上繰り返さないために。 回復者はローマ・カトリックの総本山ヴァチカンを訪れ、自らの声で差別撤廃を訴えました。
Update 2017.8.21
春には満開の桜が、夏には5000発の花火が、地域の人びとを楽しませる風物詩となっている東北新生園。 ここで50年にもわたって自治会長をつとめる久保瑛二さんは、かつて函館の港町からたった一人でやってきて、療養所の大人社会になじめずに、ちょっとすねていた少年だった。 入園者が誰もいなくなる将来を見据えて、これまでどのような思いで自治会を営んできたのか、スポーツ万能の“武勇伝”の数々...